自宅から徒歩10分足らずで行ける公園の話なのに、その存在を地元メディアではなく『神戸新聞』で知った「島田叡氏顕彰碑」。
島田氏の命日と見なされている6月26日に、那覇市奥武山公園で井戸敏三・兵庫県知事や久元喜造・神戸市長らが訪れて除幕式が行われる予定だ。それを前に自宅から近いこともあり、散歩がてら見てきた。
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顕彰は顕彰碑ともう一つある。奥武山公園の多目的グラウンドが「兵庫・沖縄友愛グラウンド」という名前になる。すでに「グラウンド碑」は完成しており、除幕式の10日前の6月16日には、公開されていた。当初「島田球場」という名前が予定されていたが、島田の出身県と沖縄県の両県の名前を冠するグラウンド名となった。
グラウンド碑のグラウンド名の上にには「島田叡氏を縁とする深い絆」の文字が入れられ、下には島田叡の功績が記されており、島田叡を知らない人でも島田叡の功績を知ることができるようになっている。
グラウンド碑の碑文全文を紹介しておく。
沖縄がまさに激戦地になること必至の状況下の1945年1月、沖縄県最後の官選知事として、島田叡(あきら)は死を覚悟で決然と沖縄に赴いた。戦禍の中において県民を守るため、死を賭して尽力し、「沖縄の島守」として慕われる。最後は県民と運命をともにする。享年43歳(兵庫県神戸市須磨区出身)
その島田叡知事の縁によりもたらされた至誠と信頼。そして尊敬を礎とする兵庫・沖縄の交流の歴史は、1972年「復帰の年」に締結された「兵庫・沖縄友愛提携」を機に一層深まり、数々の交流事業が展開された。
かつてこの地には、兵庫県民から贈られた「兵庫・沖縄友愛スポーツセンター」があり、多くの若者・県民がスポーツやレクリエーションを楽しんだ。
このグラウンドは、スポーツをこよなく愛した島田叡知事が青少年の嬉戯する姿を思い描き、将来にわたって、なお一層の両県の「絆」が発展することを祈念して「兵庫・沖縄友愛グラウンド」と呼称するとともに、両県の「友愛の証」とする。
2015年6月吉日
島田叡氏事跡顕彰期成会
かつて奥武山公園では兵庫県民の募金によって建設された「沖縄・兵庫友愛スポーツセンター」が存在していたが、老朽化で取り壊され、今は跡地を示す碑だけが残されていた。
友愛グラウンドの前には「島田叡氏顕彰碑」が建つが、こちらは準備中(?)のようであった。島田氏を顕彰するものは沖縄県で「島守の塔(終焉の地)」に続くものである。公開時には兵庫県でも報道されると思うが、このブログでも紹介したい。
とはいえ、神戸新聞のサイトに完成予想図が載っているが...
- 参考:当ブログの「沖縄の島守」関連記事
- 那覇市役所取り壊しへ (2009年9月20日)
- 「沖縄の島守」を忘れるな! (2013年6月15日)
- 沖縄の島守・島田叡沖縄県知事の功績顕彰へ (2014年2月9日)
- 沖縄戦終結70年~「沖縄の島守」顕彰の動き (2015年6月13日)
- Google+コレクション
- 奥武山公園 (兵庫・沖縄友愛グラウンド、島田叡氏顕彰碑)
- アクセス:ゆいレール「奥武山公園」駅下車すぐ