2004年10月アーカイブ

infoドメイン偽装取得事件

2004年10月10日 15:11

今月に入って、インターネットの住所にあたる「ドメイン」のうち、一部の「.info」ドメインが、登録者の知らないところで登録されているという怪事件が起こっている。具体的には、たとえば「example.com」あるいは「example.net」というドメインを所有していた人の名義で「example.info」のドメインが知らず知らずのうちにとられているというのだ。まさかと思い、私の名義で取得している2つのドメインで「.info」を調べてみると、1つのドメインの「.info」が私の知らないところで私の名義で取得されていることがわかった。

最近は.comや.netといったドメインは1,000円以下/年で取得できるが、このように格安でドメインが取得できる業者を経由してドメインを取得している人が、この事件の"被害者"になっているようである。
"被害者"といっても、管理費用を請求されるなどといった被害はないのだが、自分の名義で自分の知らないドメインが取得されているのは気持ちのよいものではない。しかも連絡先のメールアドレスが自分のものになっているので、この身に覚えのないドメインの期限が切れると、ドメインの更新の催促がくる可能性がある(更新する気がなければ無視すればいいだけのことなのだが)。

ドメイン取得代行業者もこの怪事件には手をこまねいているようで、上位の登録業者に確認をとっているようだが、具体的な対策はないのが現状である。特に実害はないのだが、釈然としない。

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産婦人科の病室で思ったこと

2004年10月24日 20:18

実は妻が切迫流産のため、先週木曜日から入院している。私も昨日の夕方から今日にかけて病室に泊まり込んでいたのだが、そこでテレビをつけてびっくりしたのは「新潟県中越地震」のニュースである。阪神・淡路大震災で「震度7」を経験した者として、あの当時の記憶を再び思い起こさせる、阿鼻叫喚の風景がテレビに映されていた。

しかし、マスコミは阪神・淡路大震災で何を学んだのだろう。なぜヘリコプターを飛ばすのだろうか。被災地の状況を確認するだけなら、防災ヘリにカメラを搭載し、そこから画像を配信すればいいものを、各社が無駄にヘリからの中継を伝えている。

震災直後に出版した自著「阪神大震災・神戸からの報告書」の中でも指摘したのだが、ヘリコプターの騒音は倒壊した家屋の中で助けを求める声をかき消し、救助の妨げになる。阪神大震災では、この「二次災害」によって助かっていたかもしれない命を落とした人がいたという。

ところで、時間が経つにつれ被害の状況が明るみに出てきたが、自分がいた場所が産婦人科の病室ということもあって、生後2か月の赤ちゃんが亡くなったとのニュースは胸に突き刺さるものがあった。ニュースによると、この赤ちゃん。家族とともに車で避難する途中で襲ってきた余震のショックで亡くなったと言うではないか。首も据わってなかったことも関係するのかもしれないが、ご両親の気持ちを思うといたたまれない。しかも、この赤ちゃん、偶然にも、私が震災後に何気なく書いた震災を題材にした小説の中で生まれてくる子供と同じ名前なのた。それだけになんだか自分の身内のように思ってしまったのである。小説の中のこの子は震災をくぐり抜けた恋人同士の間に生まれ、復興する神戸で育っていくのだが...。

先程見たNHKのニュースでは、ある家族は子供のミルクだけを自宅から持ち出して避難してきたと語っていた。避難所への救援物資はまだ十分行き渡っていないという。もしボランティアで新潟へ向かう方がいれば、救援物資の中に粉ミルクや紙おしめも持っていっていただきたいと願う。明るい未来のために、小さな命を救ってほしい。

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10月10日のブログで取り上げたinfoドメイン偽装取得事件に進展があった。どうやらinfoドメインの管理会社が無料キャンペーンを打っているらしく、上位ドメイン登録業者が勝手に登録したという。その数は一説には100万件とも言われている。これには世界的規模で苦情があったようで、私の名義で無断で取得されたinfoドメインについても、登録情報が私の名義から「deleted to be deleted」という表示に変わった。とりあえずは一件落着と言ってよいだろう。

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テレビのニュースでは新潟中越地震におけるライフラインの復旧情報が出てくるようになった。このニュースを見ていて、やはり阪神・淡路大震災被災当時のことを思い出してしまった。当時の我が家におけるライフライン復旧情報を備忘録としてまとめてみた。これについては拙著「阪神大震災・神戸からの報告書」(データハウス刊)や当時のメモなどから抜き出している。

  • 地震発生:1995年1月17日午前 5時46分
    • 当然、部屋の中は雑然としている
  • 被災場所:神戸市中央区国香通、震度7エリア
    • 自宅は当初半壊状態、半年後に全壊判定となる
    • ポートアイランドの公団住宅に引っ越すまでは自宅で生活する
  • 電話
    • 地震直後、部屋を簡単に片づけてから、父が親戚に無事を知らせる電話をかける
    • 当時、我が家はダイヤル式の黒電話であり、停電時でも電話回線が生きていれば使えた
    • ただし、午前7時ごろには電話はつながらなくなった
  • 電気
    • 1月17日(地震当日)の正午過ぎ、瞬間的に部屋の蛍光灯が点った。ただしすぐに消える
    • 同日16時20分ごろ蛍光灯が点灯、テレビで各地の被災情報を確認
    • 同じ頃、電話も復旧したらしく、遠方の知人から電話がかかり始める
    • ただし我が家から100mほどのところでは依然として停電状態が続き、復旧まで5日から1週間ほどかかったようだ
    • 今、思うと避難所に近い場所から停電が復旧していていたように思う
  • 水道
    • 1月21日(地震から5日目)夕方に通水
    • 当時、我が家には二宮町のクアハウスからもらっていた飲料水のくみ置きがあった。地震直後は近所の人に分けるほどの水の備蓄があったので、飲料水には困らなかった
    • トイレの水は避難所となっていた近所の小学校のプールより分けてもらっていた
  • ガス
    • 拙著の原稿を書き終えた時点では復旧していない
    • 拙著が出版された数日後に復旧した記憶があるので、3月上旬と思われる
    • それまでは普段は鍋料理で使っていたカセットコンロがあったので、簡単な料理や湯沸かしは可能だった
  • 風呂
    • 1月25日(地震発生9日目)に神戸市各区に1か所ずつ、自衛隊の仮説浴場がオープン
    • 中央区は我が家から1kmほどのところにある小野柄小学校(現在の中央消防署があった場所)に設置
    • ただし奇数日は女性、偶数日が男性の入浴日となっていたため、私が風呂に入ったのは26日である
    • 鉄パイプとテントだけで組まれた風呂ではあったが、案内をしてくれた自衛隊の方の対応もよく、とても気持ちよかったのを覚えている
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