いよいよ「沖縄都市モノレール株式会社」に潜入。しかし誰もいない。正門から入って約2分。ついに、ゆいレール展示館を発見した。まず出迎えるのは実際に東京モノレールで使われていたタイヤと、その構造物である。
外に展示され雨ざらしになっていたせいもあってサビだらけであるが、県外で走っている電車と違ってモノレールのタイヤ部分は見ることはできないが、こうしてみると複雑な構造である。展示館内に入ると、まず受付がある。受付といっても入場無料なので、入場券購入などは不要であるが、ここではさまざまなゆいレールグッズが売られている。たとえば車内で流されている到着駅ごとに違う沖縄民謡をあしらったチャイム(アナウンスも入ってる)のCDであったり、駅で流れているゆいレールのイメージソングのCD、子供向けにTシャツなどなど、土産物屋や駅でも買えない貴重なグッズが発売されている。また無料で「ペーパークラフト」がいただける。
グッズに興味がなければ受付を素通りしても問題ない。奥へはいると、各駅をパネルで紹介するコーナーがある。またここではゆいレールの工事の模様のビデオも上映されている。
しばらくここでビデオ上映を拝見。着工後すぐに始められたのは工事予定地の不発弾調査だったそうだ。展示とは関係はないが、半年ぐらい前にも沿線で不発弾が発見され、ゆいレールが運行を取りやめるといったことがあった。「鉄の暴風」と形容される沖縄戦を今も引きずっている。
各駅の紹介の中で、儀保駅では首里地区で祝い事があったときに出される「のー饅頭」の模型が展示されていた。
安里・おもろまち駅間にある交差の模型。
※写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。
ゴールデンウイーク期間中は館内で子供向けにクイズラリーが実施されていた。抽選でゲーム機が当たるという問題用紙は子供にしか配布されないが、血眼になってクイズに解答していたのは子供ではなく親御さんであった。しかも「もんだい4」の答えはゆいレールの駅名ではないという本気の問題である。ちなみに館内の展示を丁寧に見ていくとクイズラリー全8問すべて回答できるようになっている。もちろんこの問題の答えも展示物の中にあった。
ゆいレールのタイヤの構造。
※写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。
展示館1階最後の展示は2019年開業予定のゆいレール浦添延伸路線の資料である。資料といっても開通予定地の航空写真と駅舎の予想図。現在終点の首里駅から石嶺駅を経て浦添市内に入り経塚(きょうづか)駅、前田駅、浦西駅が開業予定。(駅名は仮称)
これらの展示を経て2階へ上がると、戦前に沖縄で走っていた「軽便鉄道」と国内外の鉄道に関する資料が展示されている。レールの実物や当時売られていたと思われる路線図など、沖縄の歴史を知る上でも興味深い資料が多い。
フラッシュが点灯して見づらいが、上記写真をクリックすると拡大写真が開くので、興味のある方は参考にしていただきたい。このような地図がほかにも数枚展示されている。
戦前、鉄道が走っていたのは那覇だけではなかった。複数の路線があり、北は嘉手納、南は糸満まで路線があった。
※写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。
ところで、沖縄ではゆいレールが開通するまで戦後、鉄道は走っていない...というのが定説になっているが実はそれは間違いである。沖縄本島から東へ約400kmのところにある南大東島では、サトウキビ運搬用として1983年まで汽車が走っていたのだ。これらに関する写真や資料も展示されている。また南大東島で走っていた汽車の実物は那覇市の壺川東公園で保存されている(番外編参照)。
※写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。
1982年の沖縄復帰10周年に国鉄主要駅で発行された記念切符。当たり前であるが、当時沖縄には鉄道はなかった。
※写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。
沖縄とは直接無関係な鉄道資料も多く展示されている。たとえば「JR西日本発足記念」の切符帳(というのかな)。この中でJR神戸駅(三ノ宮駅ではない)の切符を発見!また新潟駅や富山駅もJR西日本管内の駅であることをここで初めて知った。ここでは沖縄にいながら地元の鉄道資料を見つけることができるかもしれない。
※写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。
私は価値がわからないが、珍しい(?)鉄道資料。上記写真をクリックすると拡大写真が開くので、興味がある方は参考にしていただきたい。このほか新幹線やJRの電車のNゲージも展示されている。先客の子供に触られたのか、脱線しかかっている電車もあった。もちろん、これらは手に触れてはいけない。
新幹線のレールの輪切り(?)。これは触ってもいいらしい。まさか沖縄で新幹線のレールを触れるとは思わなかった。ちなみに私が通っていた中学校は新幹線の駅の隣にあり、毎日のように新幹線を見て登下校していた。
沖縄と鉄道を語るには忘れてはならないのが、ブルートレイン「なは」。京阪神から熊本・西鹿児島駅を結ぶ特急電車の名前であった。なぜ那覇に行くことができないのに「なは」と名付けられたかというと、沖縄の新聞社『琉球新報』が当時、アメリカ軍政下にあった沖縄にあって、本土復帰の願いを込めて沖縄にちなんだ名前の電車を走らせようというキャンペーンを行い、一般公募で決定した名前が「なは」だったそうだ。ここに展示されている特急「なは」に関する資料は、「なは」の運行最終日であった2008年3月15日、終着駅の熊本駅で、沖縄県や那覇市の関係者に贈呈されたものである。
「なは」の資料は写真に写っているもの以外にもあるので、興味のある方は現地で見ることをお勧めしたい。
ほかにもゆいレールや鉄道に関する切手の展示もあった。会社の敷地内ということで通常は平日のみの開館であるが、沖縄県民はもとより、観光で来られる方も機会があれば観光コースに含めてみてはいかがだろうか?
展示館を出た後、ゆいレールに乗って生の沖縄の鉄道情報に接してきた。引き続き「番外編」もご覧いただきたい。