ふるさとは遠きにありて...

阪神・淡路大震災 95年1月20日頃 中央区生田川交差点付近

1995年1月17日午前5時46分、私は神戸市中央区の自宅で激しい揺れと共に目が覚めた。そして寝ていた私にテレビが襲いかかってきた。揺れが収まり、当時から枕元に置いてあった懐中電灯で部屋中を照らし出すと何もかもが転倒し、足の踏み場もなかったことを鮮明に覚えている。

震災から12年も経つと全国ネットのニュースでも震災を取り上げる機会がめっきり少なくなった。朝日新聞のサイトを見ると"阪神大震災12年 「震災を知らない市民」神戸市は3割"という記事が出ている。「震災はここまで風化してしまったのか」と思い記事を読むと、震災があった95年以降、神戸市に転入した人と、生まれてきた子供の人数が神戸市の人口の3割に達するらしい。今朝の『沖縄タイムス』によると神戸市の人口は今年1月の時点で153万人を超えたという。ちなみに沖縄県の人口よりも多い。この3割となると40~50万人の神戸市民は震災当時の神戸を知らないことになる。この数は今住んでいる那覇市の人口よりも多い。

※神戸市の統計によると震災直前(95年1月1日現在)の人口は152万人だった。単純に比較すると12年で1万人程度しか人口が増えていないことになる。また震災最大の被災地である神戸市長田区では今も人口の減少が続いている

阪神・淡路大震災 95年1月20日頃 三宮・交通センタービル

震災の年に生まれた子供は今年12歳になる。彼らが春には中学生になっていることを考えると、かなりの年月が経過したことを思い知らされる。私にとってはつい最近の出来事のように思うのだが...。今、神戸の子供達がどのように震災を学んでいるのかわからないが、震災で学んだことを次代の教訓として、つなげていってほしいと願う。ところで、

「天災は忘れた頃にやってくる」

Googleで検索すると、なんと私が書いた文章がトップで出てくる。実はこの文章、1999年9月の防災の日に某有名学習塾の依頼で、インターネット講義を受講していた中学生向けのメールマガジンに執筆したコラムで、これを自分のサイトに天災...ではなく転載したものである。

言葉だけではなく、日頃から、この2人のように防災について語り合いたいもの...あなたは天災を忘れていませんか?

...と、こんな偉そうなことを書いているが、私自身、震度7を肌身で感じておきながら、しかもこんなルポルタージュを出しておきながら、今、特に何も対策をしていないのが情けない。神戸を離れると、震災の話題を語ることは全くないことから、おろそかになってしまうのかもしれない...というのは言い訳だろうか。

阪神・淡路大震災 95年2月頃 元町商店街

2年前にこのブログで取り上げたのだが、実は『神戸新聞』が震災の9日前に関西での大地震を警告する新聞記事を載せていた。新聞記事では立命館大学理工学部の見野和夫教授が「関西は地震に対する意識が薄く、防災体制が不十分」と警告していた。そしてこの記事が掲載されてから9日後、阪神・淡路大震災が神戸を襲うのである。おそらく私もリアルタイムでこの記事に目を通していたと思うのだが「忘れた」というよりは日頃から意識していないと、このような警告は意味をなさないのではないかと思っている。私たち震災経験者が今後も機会あるごとに震災の経験と教訓を語り継ぐ必要があると感じる。

※写真は95年1月20日~2月頃にかけて、私が撮影したものです。この写真を含め、被災状況の写真は『阪神大震災・神戸からの報告書』(データハウス刊)でも多数、掲載しています