1978年10月2日、私は小学生4年生だった。この日の夕方、神戸で部分日食が見られた。それほど大きく欠けなかったが、フィルムの感光部分で欠けてゆく太陽を観測した。宿題だったわけでもないのに日食の観測記録を付けたりもした。親に宇宙の本を買ってもらい、その本の日食のページに載っていた将来、日本で見られる日食の表を見ながら心を躍らせていた。そのころから2009年7月22日の皆既日食や2012年5月21日の金環日食を楽しみにしていた。小学生の私は「40歳の私」が奄美大島あたりに行って皆既日食を見ているのだろうと想像していたかもしれない。
時は流れて、現実に2009年7月22日がやってきた。残念ながら皆既日食を見ることはできなかったが、その当時考えもしなかったことだが、今回の皆既日食帯からはちょっぴり離れている那覇市に住んでいる。最大食分で太陽の約91%が欠ける部分日食が見られた。
残念ながら、都合により最大食分の瞬間を見ることはできなかったが、その瞬間の15分ほど前、知人からフロッピーディスクの中身を切り抜いて作った目には優しくない簡易日食観測フィルムを借りて三日月状の太陽を見た。那覇は薄曇り。太陽の周りにうっすらと虹色の輪がかかっており、幻想的な風景であった。昼間近だというのに、周りは夕方のように薄暗くなった。最大食分の時間になると、窓の外は夜までもはいかないまでも、一層と暗くなった。太陽の90%が月に隠された瞬間である。午前10時54分。あと1時間少しで正午になるというのに...である。それはこれから夜を迎えるかのような暗さである。しかし11時過ぎたあたりから明るさを取り戻し、正午にはほとんど、ふつうの昼間の明るさに戻っていった。