ふるさと切手博物館
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公開日:2001年1月1日
第21回展示■21世紀。だから温故知新

佐賀県「吉野ヶ里遺跡」(1999年版)

吉野ヶ里遺跡  それでは魏志倭人伝にそって邪馬台国の位置を探ってみましょう。
 まず、朝鮮半島から海を渡ると「対馬国」に到着すると書かれています。これは文字通り、現在の対馬(つしま)列島と思われます。さらに南へ「千余里」海を渡れば「壱岐国」に着きます。この国も現在の壱岐(いき)と解釈できます。
 壱岐国からさらに海を渡ること「千余里」で「末盧(まつら)国」に着きます。この「末盧国」については地形や植物の群生について詳しく書かれてあり、この記述から現在の佐賀県北西部と推定されています。
 ここから南東へ500里歩くと「伊都(いと)国」、そしてさらに南東へ100里の距離に「奴(な)国」があると記しています。奴国といえば「漢委(倭)奴国王」と彫られた金印でその名を知られています(注・この金印と卑弥呼は関係ありません)。
金印  奴国から東へ100里行くと「不弥(ふみ)国」、さらに南へ、水上を20日間かけて移動すると「投馬(つま)国」、ここからさらに南へ水上を10日間、陸を歩くこと1か月で「邪馬台国」に着くと書かれています。どう考えても邪馬台国が現在の佐賀県内にあるとは思えません。それどころか、魏志倭人伝に沿って道をたどると太平洋上に邪馬台国があることになってしまいます。
 また魏志倭人伝には「会稽郡東冶県」(現在の中国福建省福州付近)の東に倭国があると記された箇所もあり、この説を取れば現在の台湾や沖縄県に倭国が存在していたことになります。
 現存する魏志倭人伝は初版から900年以上経過した12世紀頃に出版されたもので、当時の原本を間違って書き写したものが、そのまま現在に伝わっている可能性があります。しかし3世紀に出版されたオリジナルの魏志倭人伝がない以上、書き間違いを確かめることはもちろんのこと、正しい邪馬台国の位置を確定することは、現時点で不可能と言えます。

 ところで2001年春、吉野ヶ里遺跡を中心とした一帯に「吉野ヶ里歴史公園」がオープンします。
 「弥生人の声が聞こえる」をテーマに、遺跡の重要施設を復元したほか、吉野ヶ里遺跡や弥生時代の文化を学べる歴史公園センターなどが公開される予定です。

●上の切手のデータ
意匠=楼観
発売日=1999年11月11日 発売地域=九州
原画作者=大塚清吾 発行枚数=未発表
備考=別途ペーン(10枚シート)が発売されています


●下の切手のデータ
意匠=金印
発売日=1989年8月15日
発行枚数=3300万枚
備考=この切手はふるさと切手ではなく、「第3次国宝シリーズ第7集」として発行されました。


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