ふるさと切手博物館
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公開日:1997年11月1日
第4回展示■紙上最大?熱き戦い「ふるさと切手の陣」

奈良県「奈良と太平記」

奈良と太平記
奈良と太平記
奈良と太平記
 左の切手は、近畿郵政局から「奈良と太平記」というテーマで1991年(62円=上)と1995年(80円=下)の2回も発行されたものです。
 中央の画像は、上の62円切手を5組収めた「ゆうペーン」の表紙です。ちゃんと、ここにも「奈良と太平記」と記されています。
 そもそも「太平記」とは室町幕府発足をきっかけとしておこった皇族の内紛=南北朝時代を南朝(吉野)側の視点で書かれた、れっきとした軍記です。
 南北朝時代とは、鎌倉幕府の倒幕後、後醍醐天皇による「建武の新政」が始まるのですが、倒幕の首謀者・足利尊氏が天皇のいた京都で室町幕府を開いたことにより、後醍醐天皇は政界から追われる立場になりました。 (足利尊氏と後醍醐天皇の詳しい関係は、ややこしいので、ここでは割愛します)
 都落ちした後醍醐天皇は奈良県吉野に移り住み、室町幕府を倒す策略を練ります。一方、京都でも、幕府のバックアップで、もうひとりの天皇が登場します。
 2人の天皇は、京都と奈良の間では冷戦状態でしたが、関東や九州地方では互いの軍勢が衝突し、戦に発展しました。
 結局、天皇家が分裂して半世紀、南朝側がホンモノの天皇の証である「神器」を北朝側に渡し、天皇家は統一されました。
 それなのに、切手の図案は「吉野の秋」「吉野の春」…いったい「太平記」はどこに行ったのでしょう・・・?

 明治時代、国定教科書の「南北朝時代」は、両方の天皇について書かれていたそうですが、その取り扱いをめぐって、右翼が「南朝」が正当な天皇家だと圧力をかけ、教科書から「北朝」の記述を削除する事件がありました。
 今でも、それを引きずっているのでしょうか? 過去のこととはいえ、天皇家の内紛を切手にするのは、まずいとの政府の判断があったのかもしれません。
 切手の題材に「太平記」の名前を残したのも、現天皇家が南朝の血統であることを示そうという意図も感じられます。(あくまでも「邪推」ですが・・・)
 いずれにせよ「太平記」とは正反対の、ほのぼのとした図案になったのも、今の日本が平和である証拠だといえます。

●この切手のデータ
意匠=左から・吉野の秋 ・吉野の春
発売日=62円切手:1991年10月25日
    80円切手:1995年11月6日
      増刷:1998年4月27日
発売地域=近畿
原画作者=志村正(日本画家)
発行枚数=62円切手:各700万枚
     80円切手:(初版)各500万枚
          (増刷)各600万枚
備考=62円切手バージョンには別途、ゆうペーン(表紙付きの10枚シート)が18万部発行されています。
 80円切手には95年11月の初版と、98年4月の増刷版があります。どちらも印刷などに変化はありません。


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