気まぐれ歳時記2001年2月1日
 

日本建国の謎?

 日本の国の誕生日の秘密は『日本書紀』に書かれています。
 『日本書紀』の「神武(じんむ)天皇紀」という項目によると、初代天皇である神武天皇は「辛酉(かのととり)年の春正月庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち=1日)天皇帝位につく」とあり、この日に天皇を長とする日本国が誕生したと書かれています。
 「辛酉」とか「庚辰」は干支(えと)のことで、昔は年だけでなく月も干支で表していました。2つの漢字の組み合わせは60通りあることから、年・月のそれぞれの干支がわかれば、西暦になおすことが可能です。
 この作業は、1871(明治4)年に明治政府が行い、神武天皇が即位したのは西暦にして紀元前660年、太陽暦で1月29日であると発表されました。しかし2年後、「1月29日」は計算間違いであることがわかり「紀元前660年2月11日」に修正されました。
 ところが紀元前660年頃の日本は縄文時代で、遺跡の発掘などで当時の人びとは文字や暦を知らなかったと考えられており、『日本書紀』でも神武天皇は、太陽の女神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の孫という設定で登場することから、紀元前660年2月11日を「建国記念日」とする考え方は歴史的にも科学的にも根拠が乏しいといえます(だから「建国記念の日」なのです)。
 しかし明治政府は『日本書紀』を利用して「天皇を神の子孫」とたてまつり、国民は神である天皇に支配される存在と位置づけました。また「2月11日」にあわせて、大日本帝国憲法の発布(1889年)、勲章の制定(1896年、1937年の同日には文化勲章が制定される)、日露戦争の開戦(1904年)といった国の重要な行事が組まれ「特別な日」として扱われてきました。
 こういった経緯から、戦後は「2月11日」の祝日が廃止されましたが、1966年、「国を愛する心」を養う日として復活しました。

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