葺合区のあらまし

転載元:「葺合区あんない」(1976年9月・葺合区役所)

本稿は1976年9月に神戸市葺合区役所が発行した行政ガイド「葺合区あんない」から「葺合区のあらまし」を原文のまま転載しています。

このページから「葺合区あんない」(葺合区の地図も含む)のデジタルデータ(PDFファイル)もダウンロードできます。

文中のルビは原著にはなく、筆者が付与しました。

葺合区あんない

おいたち
 現在の葺合区一帯の土地は、鎌倉時代には「葺屋荘ふきやしょう」という名で呼ばれ、武士の領地となっていました。「葺屋荘」の葺は茅葺のことで、屋は、軒を並べた家…農家…のことです。ですから茅ぶき屋根の建ち並ぶ豊かな農村の姿が、そのまま鎌倉時代の荘園「葺屋荘」の名称となっていたのです。
 明治のはじめ、熊内くもち・生田・中尾・滝寺新田たきでらしんでん・中・脇浜わきのはま小野新田おのしんでんの7ヵ村が合併しました。そして、合わせたという意味から「葺合村」となり、また別に、上筒井。下筒井・西筒井の3ヵ村が合併して「筒井村」ができたため、元の「葺屋荘」の名は廃止されました。
 その後、明治22年4月1日に神戸市政がしかれ、「葺合区」となり、現在に至っております。
 
歴史
建久3年(1192年)〜元弘3年(1333年) 葺屋荘、生田荘の2つの荘園となる
元弘3年(1333年) 布引の砂山いさごやまに滝山城が構築される
天正8年(1580年) 池田輝政統治
元和元年(1615年) 尼崎城主の所領となる
明和6年(1769年) 幕府の直轄となり、奉行代官の支配となる
慶応3年(1867年) 兵庫開港
明治4年(1871年) 生田川付替工事完成
明治7年(1874年) 7ヵ村(滝寺新田村・中尾村・脇浜村・小野新田村・熊内村・生田村・中村)合併、葺合村となる。
 3ヵ村(上筒井村・下筒井村・西筒井村)合併、筒井村となる。
神戸〜大阪間の鉄道が開通
明治12年(1879年) 葺合村・筒井村に戸長役場が設けられる
明治22年(1889年) 神戸市政実施
 葺合村・筒井村合併、神戸市葺合部として発足
明治33年(1900年) 布引貯水池完成
明治38年(1905年) 阪神電車開通
明治43年(1910年) 市街電車開通(春日野道、兵庫間)
昭和2年(1927年) 阪神国道開通
昭和6年(1931年) 葺合区役所開所 第1回みなとの祭を挙行
昭和8年(1933年) 池長美術館(現在の南蛮美術館)が開館
昭和13年(1938年) 阪神大水害
昭和46年(1971年) 第2六甲トンネル着工
昭和47年(1972年) 人間環境都市を宣言 新幹線新神戸駅完成
昭和51年(1976年) 新神戸トンネル開通
 
区勢概要(昭50.10.1現在)
項目  区分神戸市葺合区神戸市に占め
る割合(%)
面積(km2)539.979.911.8
世帯数427,08426,4306.2
人口総数1,360,53073,3835.4
667,84835,3075.3
692,68238,0765.5
人口密度(km2当り)2,5207,4056.2
人口の動き  各年10月1日現在 (昭和20年は11月1日現在)
年次神戸市葺合区
昭和15年
昭和20年
昭和25年
昭和30年
昭和35年
昭和40年
昭和45年
昭和50年
1,134,458
520,279
820,986
986,344
1,113,977
1,216,640
1,288,937
1,360,530
123,846
17,914
54,026
74,559
93,346
94,897
84,890
73,383
人口推移表
(筆者注:上記表を棒グラフにしたもののため省略)
 
 
 
 
デジタルデータのダウンロード
「葺合区あんない」完全版PDFデータ (fukiai_annai.pdf) (7,570,691 byte)
※現物はA2サイズ。両面印刷です。

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