気まぐれコラム
震災のきずあとを訪ねて
1998年7月1日
 

北淡町・野島断層保存館〜その3

 1995年当時の気象庁震度階級によると、震度7は「家屋の倒壊が30%以上に及び山崩れ、地割れ、断層を生ずる」と定義されていた。(気象庁震度階級は1996年秋に変更されている)
 今回の兵庫県南部地震で野島断層は、総延長9kmに渡って地表に、その姿を現した。ここで保存されている断層は、そのごく一部でしかない。
 しかも、ここで保存されているのは最大変位の断層ではないのだ。
 野島断層で最も大きく動いた地域は、この断層保存館から約5km北にある野島平林地区で、ここでは上下方向1.2m、右方向1.9mの地表のズレがあったとされている。残念ながら山地に面していたことなど地形的な問題から、最大のズレは「保存館」という形では保存できなかったらしい。

 断層が保存されているゾーンでは保存館の人による解説を聞きながら、断層が鑑賞できるようになっていた。
 解説によると、見学者が立っている、順路側がもともとの地面の位置で、断層の向こう側(神戸大阪方面)がせり上がった地面とのことだった。建物の窓から見える小高い山も、地震前と地震後では50cmほど標高が高くなったという。
断層  断層を前にしての第一印象は、正直なところ、あの大地震を引き起こしたわりには「凄い」とは思わなかった。
 ここで、まず最初に見るのはアスファルトの道路の段差だったからだ。
 この程度なら、あの日に見た、神戸の阪急春日野道駅前の舗装道路の「段差」の方が大きかったのでは?と思ったからである。
 しかし、じっくり見ると、単なるズレではなく、上下左右に大きく動いたことがわかる。神戸の「段差」とは全く違うのである。
 大自然を前に人工物はいかに無力なのかが、改めて再認識させられた。


順路