連載小説1999年9月1日
 明日の大地へ〜第31節、第32節

◆目次◆

31・跡取り息子の苦悩

32・震撼するビジネスチャンス

(全33節)


31・跡取り息子の苦悩

 「プロジェクトS」が一段落ついたある日、シオリは確定申告のために東京へ帰ってしまった。
シオリが帰ったのと入れ替わるように、姉の看病をしていたオカンが家に戻ってきた。
 オカンが言うには、姉は、すっかり日常生活を送れるぐらいにまで回復したそうだ。だが「日常生活」とはいうものの、家事をするにも、姉夫婦が住むポートアイランドは今も水やガスは出ていないらしい。
 義兄も会社の復旧作業や取引先の確認作業などで、毎日残業が続いていたが、これらも一段落し、定時で帰宅できるようになった。そのため、オカンは家へ帰されたのである。
 オヤジはオヤジで、オレとシオリがサトコの友達を訪ね歩いていた頃、金策に走り回っていた。オレも薄々は感付いていたが、家族全体が経済的困難に直面していたのである。
 大野さんは補修資金を「ある時払いの催促なし」でもいいと言っているのだが、それにしては額が大きいし、いろいろと大野さんの世話になっているので、オヤジは義理を果たす意味でも銀行の融資を受けることを考えていた。
 もちろん当面の生活資金も必要である。
 この家は神戸市の罹災証明で「半壊」判定を受け、それと同時に義援金十万円を受け取ったが、家族三人が生活していくためには、あまりにも額が少なかった。
 経営再建に役立ったのはシオリの置土産である。つまり、シオリの週刊誌記事を見てくれた同業者の厚意で、暗室用品だけは一通り揃えることができたのだ。撮影器材についても提供の申し出があったが辞退させてもらった。
 なぜなら、商売道具や家財道具は内装工事に入ると一時的に、どこかへ移動しなければならないため、必要最小限度の道具の提供を受けたのである。
 暗室用品が揃ったのと時期を同じくして雑用程度の仕事が、毎日数件はあった。いや、雑用と言ってはいけないかも知れない。
 オレの思惑どおり、家を失い、写真もなくした人たちが、過去にうちで撮影した写真を焼いてほしいという依頼が日に日に増えてきたのである。
 希望の写真が出来上がっても、とてもではないが、そういった人びとからお金を取る訳にはいかない。それは、タダでもらった現像道具と印画紙で焼き付けた写真だからではなく、彼らもオレたちのように金銭的に困っているのではないかと思ったからだ。
 だが、現実にはその「余計なお世話」をも金にしなければならない状況に、オレたちは追い込まれているのである。
 これに加えて「プロジェクトS」で預かった貴重なネガからも写真を焼かなければならない。
 そして今日。平日であるにも関わらず、朝から義兄が家にやってきて、オヤジとどこかへ出掛けてしまった。
 もしかすると姉のことで何かあったのではないだろうか…オレはそう思った。
 だが、一時間程で二人は戻ってきた。オヤジに理由を問いただすと、融資のことで、銀行に行っていたらしい。それにしても、なぜ、義兄が会社を休んでまで、オヤジに付き添っているのだろうか。
「お義父さん。ボクでお役に立つのなら構いませんよ。それに、もし、この融資が受けられなかったら店が再建できないんでしょう」
「でもなぁ、今の店の状況では吉田君に迷惑をかけてしまう」
「一体、何の話や。オレになんか隠してるんか」
「隠してるわけやない。吉田君に融資の保証人になってもらおうと思ってたんやけどな。ちょっと条件がついてなぁ」
 オヤジが言うには、保証人になることに義兄は快諾してくれたが、銀行は義兄に、まだ多額の住宅ローンがあるため、保証人としては不適格だと言ってきたらしい。ただし義兄のマンションに抵当権をつけさせてもらえるのなら、保証人として認めようというのだ。
 義兄は構わないといっているのに、オヤジは、ためらっていた。
「それになぁ。銀行は将来の事業計画まで書いて持って来いって言いよるんや。見通しが立たんのに…」
 オレは二人の会話に口を挟んだものの、静かに聞くしかなかった。次期経営者のオレには何もできない。大学を卒業して一年も経っていないため、金策を頼めるような知り合いは誰一人いない。
 しかし義兄は、この会話にオレを引っ張りだしてきた。
「事業計画のことだって、銀行の人が言ってたじゃないですか。マサル君が店の跡を継ぐという一筆さえあれば、融資できるって…」
「えっ」
 確かにオレは、この店の後継ぎとして、地震後、マイナス思考のオヤジを引っ張ってきたが、オヤジ同様、オレにも商売の先行きがわからない。
「う−ん」
 オヤジは大きくうなった。
「義兄さん。それは、本当のことですか」
 オレは身を乗り出した。
「うん。こんなことを言うと失礼になるんやけど、お義父さんも、そこそこ年齢を積み重ねてきたからなぁ。後継ぎをハッキリさせれば、なんとかなるらしいわ。この辺りは市の復興計画で東部新都心として整備されるみたいやから、この場所で商売を続けることだけで銀行も融資してくれるそうや」
「東部新都心? なんですか、それ」
「ボクもよくわからないんだけど、そこの神鋼と川鉄の工場を潰して、被災者向けの団地を作ったり、企業や研究機関を誘致するらしい。銀行の話では、十年後には三万人の人が住み、四、五万人の人が新都心の職場で働くそうや」
 つまり、この場所さえ動かなければ、将来は、どんな商売でも成功するというのである。
「オレは、この店を継ぐつもりでおるんやで。なんでオレに、そのことを言わんのや」
「そう簡単に言うけどなぁ。十年後はええかも知れんけど、ここ二、三年、どうやって商売していくつもりや。近所を見てみい。ほとんどが瓦礫の山や更地になってしもて、人がおらん。誰が写真館に来るんや。おまえに金を返していく宛てでもあるんか。当面はワシの貯金を取り崩して返済できるかも知れんけど…」
 自分では「次期経営者」を自負していたが、所詮、素人である。こんな小さな写真館の見通しすら、わからないオレは無性に恥ずかしくなった。
 この状況では夢の新都心も絵に書いた餅である。新都心が立ち上がるまでの間、どうやって借金を返済するのか…。それより、どうやって生活を続けていくのか…。
 しばらく沈黙が座敷を支配した。

32・震撼するビジネスチャンス

倒壊した線路  この沈黙を破ったのは、意外な人物だった。
「こんにちは」
「あれ、タカシ君やないの。隣の子が婚約したサトコさんか。べっぴんさんやなあ。マサルに用事か?」
「マサルだけやなくて、ご家族の皆さんにお話したいことがあって…」
 店の方から、そう聞こえた。いったい、オレやオレの家族に何の話があるのだ。婚約の報告なら、すでに知っているのに…。
 オレは沈黙の座敷を出て、タカシたちを出迎えた。
「おっす。この前は悪かったなあ…」
「いや、オレもついカッとなってしもて…」
 サトコは不思議そうな顔をしてオレたちの話を聞いていた。オレたちに起こったことを、サトコに知られてはまずいので、オレは、わざと咳払いをした。
 タカシも、その点は心得ている。
「と…ところで、いきなりで悪いんやけど、ちょっと、話があるんや」
 ここで「金は貸されへんで」と冗談でもないような冗談を飛ばそうと思ったのだが、偉く真面目な顔つきをしている。
「話って何や」
「おまえさえよければ、オレらで会社を興さへんか」
 いきなり、何を言うのだ!
 タカシの後でオレたちの話を聞いていたオカンも、呆気にとられた。
 失業者のタカシと、事実上無収入のオレとで、会社を興すとは何事なのだ。もしかして、オレに冗談の先制パンチをぶつけてきたのか…。金策で頭を抱えているのに…この前の仕返しなのか…
「おまえがびっくりするのも無理はない。実は昨日、サトコを連れて、大学の頃、世話になった教授のところへ相談に行ったんや。何かええ仕事を紹介してくれって…」
「それで…」
「そしたら『震災をビジネスチャンスにせよ』って言いよったんや」
「ビジネスチャンス?」
「もし金が借りられるんやったら、事業を興せって言うてなあ」
「まさか、オレに金、借りに来たんやないやろな。今、オレとこも銀行の融資で悩んでるんや。それにオレ、貯金ないしな」
「おまえから金を借りようとは思ってない。おまえとこの商売のノウハウと知識だけを貸してほしい。今なら絶対に儲かる話なんや」
 いつのまにか、オヤジと義兄も店に出てきて、オレたちの会話を立ち聞きしていた。とりわけ義兄は腕組みをしながら熱心に聞き入った。
「面白そうな話ですね。ちょっと、その話をボクにも教えてくれませんか」
「あの、あなたは…」
 突然、話に割り込んできた義兄にタカシはびっくりした。
「ボクは、マサル君の義理の兄です。店先で立ち話もなんですし、お二人とも奥へ」
 座敷には暗中模索していたオレたち三人に、突飛な話を持ち込んだタカシと無口なサトコが加わった。オレは義兄にタカシとサトコを紹介した。特にサトコの身上についても簡潔に話しておいた。
「それで、その儲かる話っていうのは、どんな話なんですか」
 完全に、場を義兄が仕切っている。
「実はですね…」
 タカシが恩師から伝授してもらった話を要約すると、こうである。
 これから被災地は建設ラッシュ、工事ラッシュになる。復興需要で建設業界は活況に沸く。しかし、建設業界には、建設会社が請け負っていない建設関連の仕事がある。それはDPE、つまり写真屋の仕事だというのだ。
「いったい、写真屋の仕事と建設業界の仕事にどんな接点があるんですか」
 義兄は、ときどきタカシの解説をさえぎって質問した。
「建設業者は必ず、工事の課程を完成まで写真にして残すんです。作業日報をつけるために、今では欠かせないものとなっているそうです。その写真を現像できる店が被災地にあれば、今なら大量に受注があるというのです」
 タカシの話をおとなしく聞いていたオヤジも、何かを思い出したように、話をさえぎった。
「確かにそうや。工事現場で写真を撮ってる人がおる」
「そやけど、今まで、そんな仕事でうちに現像や焼き付けの仕事なんかあったか」
「ない。うちは写真の現像も、プロ用以外は受け付けてなかったし…」
「そうなんですよ。写真のプロを目の前にして言うのは口幅ったいんですが、そういう写真はコンビニエンスストアとかクリーニング屋などの現像所の取次店に、みんな出すんですよ。写真屋でも一時間で焼き付けられる機械があるところに持っていきます。芸術性よりも記録性が優先されるので…」
「それやったら、うちで、できんやないか」
「まぁまぁ、お義父さん。それでタカシ君は、なぜ、会社を興そうと思っているんですか」
 タカシは一瞬、息を殺した。その間を嫌ってか、今まで沈黙を貫いていたサトコが喋りだした。
「実は、私、家族を三人も失ったので、国から災害弔慰金というのをもらったんです」
「災害弔慰金って…」
 突然、話の内容が変わったので、オレもオヤジもびっくりした。
「ああ。厚生省が出している弔慰金ですよ。災害で家族を亡くした人に支払われる見舞い金みたいなもんです。うちも地震で胎児を亡くしたんで、同僚の勧めで申請してるんですけど、胎児が弔慰金の対象になるかどうかで、もめてるんですよ」
「家族は国に殺されたわけでもないし、お金を貰ったからといって、生き返るわけでもないですから…」
 サトコは息をつまらせた。
「話の腰を折ってしまったみたいだね。ごめん」
「いえ、私の場合、両親だけの弔慰金は認められたんですけど、弟の弔慰金は認められなかったんです。なんか、悔しくなってきて…同じ命なのに、なぜ、弔慰金で区別されるんだろうって…義援金は平等にもらったのに…。いえ、あの…すみません。実は、そんな話をしたかったんじゃないんです」
「うん」
 サトコが何を言おうとしているのかわからないのに、オレたちはうなずいた。
「その両親の弔慰金が、かなりまとまった金額なんです。来月には市からも弔慰金が出るらしいんです。タカシさんに、このお金で教授の話に賭けてみたらって相談したんです」
 続いてタカシが口を開いた。
「オレ、今は失業保険で食いつないでるけど、その金はサトコの金なんやから、オレが使うわけにいかんって言うたんです」
「でも、私には両親が残してくれた貯金や生命保険金もあるし、家が建っていた土地も残ってるから…」
 話の途中でオヤジが「えらい景気のええ話やな」とオレに耳打ちしてきた。景気の問題ではない。サトコは家族を失ったのだから、必然的に受け継ぐ遺産である。
「だから、その土地で、教授が言われた写真屋さんを始めようって言ったんです」
「オレ、何度も断ったんやけど。サトコがあまりに熱心に勧めるんで…サトコの家族の遺産を有効に使うのは、これしかないんやないかと思うようになって、写真館の跡取り息子であるおまえに、いろいろと教えてもらいたかったんや」
 オレが戸惑っていると、義兄がその話に乗ってきた。
「その話、ボクも参加したいんだけど、いいかな」
「義兄さん」
「吉田君…」
 オレやオヤジだけではない。タカシもサトコも、今日はじめて会った人が、自分たちの計画に加わりたいというのだから、驚くのも当然である。
「お義父さん。いえね。今の話は、確かに稼げると思うんです。もし、取引先で、その機械を扱っている会社があったら見積もりをとってほしいんですよ。できるだけ早く」
「あの…吉田君。この二人の話に、そんなに首を突っ込んでは…」
「首を突っ込むんじゃないです。この二人の計画にボクたちも便乗するんですよ」
 全員、義兄に注目した。
「おそらく、何もかもが解決できると思うんですよ。タカシ君やサトコさんのこと、そして、このお店のことも…」
「どういうことや」
「話を聞いているうちに、ボクもひらめきましてね。できれば、その写真屋さんは、このお店を利用してほしいんだけど…」
 義兄はサトコに視線を送った。オレも二人に問い正した。
「タカシとサトコさんは、それでもええんか」
 二人は、同時にうなずいた。
「この写真館を会社にしてしまうんですよ」
「会社って…」
「その資金は、まさかサトコさんのお金を使う気じゃ」
「マサル君の一筆と今の話で、この建物の補修資金を銀行から借り入れます。それをいったん会社の資本金にするんです。このときに、サトコさんさえよければ、サトコさんにも出資してもらいます。もちろん、ボクもいくらか出資しましょう。小林家が捻出した資本金を補修資金に回し、サトコさんが出資した分は、その機械の購入費にあてるんです」
 義兄の計画を聞いていたタカシも、目が輝きだした。
「つまり、共同経営の会社にするんですね」
「そう。今の話だと機械さえ動けば確実に日銭は入ってくるし、小林写真館のノウハウも活かせる。街が完全に復興すれば、新都心の住民がこの店を利用してくれる。どうです。未来は開けるでしょう。もちろんタカシ君は、この会社で働いてもらう。それなら、タカシ君とサトコさんは晴れて結婚できるんじゃないかな」
 それでも、オヤジはこの話に乗る気ではないみたいだ。
「もし、その会社ができたら、ワシはどうなるんや」
「お義父さんも今までどおりの仕事をしていただくんです。この場所で営業することを前提に考えれば、会社の家主にもなれるんです。その会社の家賃が銀行への返済や生活費に充てられます。個人商店が会社に変わるだけで、それ以外はすべて今まで通りだと思うんですが…」
 もう選択肢はない。誰がどう考えても、義兄とタカシが即席で練り上げたアイデア以外に、この写真館を救う方法はない。そんな雰囲気が座敷を支配していた。
 商売が成功するのか、失敗するのかは今の時点ではわからないが、機械さえ手に入れば、街の復興過程でも日銭が入ることは確かである。
「新会社発足といきますか。お義父さん」
 義兄は隣に座っていたオヤジに言った。オヤジは一呼吸の間を作った。
「それしかないな」
 この日の「会社設立準備会」は、夜遅くまで続けられた。即席の提案が六時間後には、設立の準備に必要な書類を誰に頼むのか。会社の記帳、決算はどうするのか…など、かなり煮詰まった話になった。一時は難色を示していたオヤジも次第にオレたちのパワーに乗せられて、上機嫌になっていった。
 日に日に話が具体化するにつれ、三十年間かけてオヤジが築き上げた「小林写真館」の看板も下ろされることとなった。つまり新会社の社名を共同経営の会社らしく斬新なものにしようという案がオレや義兄の提案で決まったからである。
 オヤジは少し淋しそうな顔をしていたが、オレたちの勢いに飲まれる形でしぶしぶ承諾してくれた。
 復活したオレとの電話交際で、この話を知ったシオリも、オレたちの密着取材で再び神戸へ戻ってきた。結局、シオリが名付親となって新会社の名前は「株式会社ひまわり写真工房」に決まった。由来は被災地に明るさを提供したいという意味を「ひまわり」に託し、「写真工房」に前身の「小林写真館」の職人気質を残したものらしい。オレやタカシはカタカナの格好のいい社名を考えていた。たとえば「○○フォトスタジオ」の類だ。
 しかし「ありふれている」という理由でシオリやサトコに一蹴された。
 それから二週間後。補修資金の融資を銀行から勝ちとり、機械の見積もりに見合った額をサトコが出資し、さらに、義兄も定期預金を解約してまで資金を提供してくれた。シオリの原稿料やオカンのヘソクリも資本金に繰り入れられた。
 登記簿の写しに載った「株式会社ひまわり写真工房」の資本金欄に書かれた数字をみてオヤジは「いきなり金持ちやなぁ」とうなっていたが、本当の勝負はこれからである。

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※写真は『阪神大震災・神戸からの報告書』(データハウス刊・菊地 馨著)64頁に掲載した写真です。

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