連載小説1999年7月1日
 明日の大地へ〜第29節、第30節

◆目次◆

29・無気力のリハビリテーション

30・激突!

(全33節)


29・無気力のリハビリテーション

中間崩壊した交通センタービル  それからというもの、タカシは毎日、職業安定所に通い、定職を探しはじめた。もちろんサトコも仕事のため、再び大阪の寮に戻った。
 シオリはシオリで、トモミさんをガイドにつけて「被災地」となった街を精力的に取材している。
 みんなが、明るい未来へ向けて動きだしていたのだ。
 そんな彼らをそばで見ていると、オレはみんなから、とり残されているような気がした。
 もともと写真館の仕事は御用聞きをして、注文を取ってくるような仕事ではない。そうであったとしても地震で打ち拉がれた街の中を衣食住とは無関係な写真館の仕事があるはずがない。
 店の仕事がなくなり、収入も完全に断たれている今、これから先の商売のことを考えるのは苦痛になってきた。
 かといって、オヤジが言ったように見通しの立たない写真館をやめて、どこかの会社に就職したり、学生時代に志していた弁護士を目指したりするような前向きな姿勢も気力も全くない。
 瓦礫の街、ひび割れた壁…こんな風景ばかりを見ていると、これから、何をやっても無駄なように思えてきたのだ。
 あれから一週間。「プロジェクトS」もそっちのけで、オレは自分の部屋でボーと毎日を過ごした。
 オヤジも誰も来ない店でボンヤリと写真雑誌のバックナンバーを読み返している。
 取材から帰ってきたシオリは、寝転がってばかりいるオレに「プロジェクトS」を進めることを何度も強要した。それはまるで、夏休みが終わりに近づくにつれ、オカンから「遊んでばかりおらんと宿題をやれ」と急かされる子供のような心境である。わかっているのだが、無気力には勝てない。
「この計画を思いついたとき、あなた『写真館の跡取り息子の誇りを忘れないためにやってみたい』って言ってたじゃないの」
「わかってる。わかってるんやけど、店の収入も、これからの仕事もない今、そんなことをしてて、ええんやろか…て思うんや」
「だったら居眠りしてる場合でもないと思うんだけど!」
「何て言うたら、わかってもらえるやろ…燃え尽きた感じがするねん」
「いったい、何が燃え尽きたのよ。何もしていないくせに!」
「そんな言い方はないやろ」
「あたしは取材の仕事をしながら、配給をもらいにいったり、洗濯したりしてるのよ!」
「それに、まだタカシの結婚の日取りも決まってないやん」
「でも、タカシさんやサトコさんを祝ってあげたいんでしょ」
「うん。けどな…」
「けどな…何よ。だいたい、今のあなたを見てると、ものすごく腹が立ってくるのよ!」
 オレは返事に困った。オレを睨みつけるシオリの目を見ていると、オレは今、何を答えようとしていたのかすら、わからなくなってきた。
「シオリ…」
「な、何よ」
 オレに見られ続けているシオリは座り込んだ状態で少しずつ後退りを始めた。オレは全く動いていないのに…。そして、シオリの背中は壁に当たった。
「ちょっと、何なのよ。その目は」
 これ以上、後がないシオリは左手をブラウスの首下へ持っていく…。
 その瞬間、オレはシオリに飛びかかった。
「キャー。何するのよ」
「オレ、もう絶えられへん。こんな現実」
「こんな時に…ダメだってば…」
 シオリは必死にもがいたが、毎日の取材と家事で疲れ切っているシオリがオレの腕の中から逃げることはできない。
「あん…もう、やめて…」
 下にオヤジがいるのを忘れ、シオリは悩ましい声をあげながら、足をバタつかせて激しく暴れた。
「離してよ、もう…」
 シオリを強く抱きしめる感触は、極めて官能的である。堅くて冷たいカンパンや、フワフワしているがカサカサする菓子パンばかりで食欲を満たしていた感触とは正反対である。
「ええやないか。一年ぶりやろ…」
 地震発生から今日まで、何度か性欲のピークがあった。
 しかし、オレたちが置かれている現状を考えれば、一年前、スキーを楽しんでいた頃のように一線を超えることはできなかった。シオリの目を盗んでマスターベーションをする気にもなれない。性欲は大地震の経験により瞬間的に減退させられていたのだ。
「いやっ、やめて、お願いだから…」
 本能がおもむくまま、オレはシオリの服を脱がせ始めた。
 ………。
 本能の呪縛から目覚めると部屋の中は暗かった。カーテンの隙間から見える外も暗い。
「また停電か?」
 しかし蛍光灯はバッチリとともった。部屋の中は地震直後のように物が散らかっている。
 それよりも一緒にいたシオリがいない。シオリの服を脱がせた感触や、大きくはないが柔らかい乳房をもんだ感触などが手に残っているのに…。
「怒って、東京に帰ってしもたんかなぁ。それとも、夢か」
 すると、襖が勢いよく開いた。
「起きた? 晩ご飯、持ってきたよ」
 シオリが立っていた。
「オレ、今まで何やってたんや」
「それより、服を着てちょうだい」
 その言葉に慌てると、オレは毛布をまとっているが、素裸である。 シオリは薄笑いを浮かべ、部屋に入ってきた。
「今日、配給でおにぎりもらったの。だから、この部屋で一緒に食べよ」
 後に隠し持っていた、おにぎりと缶のお茶を、慌てて服を着るオレに見せた。
「オヤジは…」
「お父さんは一人で食べるって…あたしたちに気を遣ってるみたいなの…」
 コンビニエンスストアで売っているようなおにぎりと生温かいお茶をシオリから受け取り、畳の上に置いた。
 そして、シオリは、あの時と同じ位置に座った。
「また、お説教か?」
「気が済んだ?」
「何が」
「何って…無責任なのね」
 シオリはおにぎりの包装を解きはじめる。
「やっぱり、やってしもたんか」
「やってしもた…て、そんな言い方しないでよ。あたしとマサルの間柄で」
「でも、オレ、なんちゅうか…その…魔がさしたというか…」
 オレは缶を開けて、お茶を一口飲んだ。
「あたし、マサルを責めてるんじゃないの。ここんとこ、ずっと、何もせずに居眠りばかりしてたんで、もしかしたら、病気じゃないかって思ってたけど、さっきのパワーは凄かったわ。去年のマサルより逞しくなったみたい…」
「パワーって…」
 この日、一晩中、シオリといろいろ話し込んだ。だが、仕事の見通しや「プロジェクトS」が話題に上ることはなく、地震後、いちばん楽しい時間を過ごした。

30・激突!

 翌朝、オレはシオリよりも早く目覚めた。この部屋でシオリと寝るようになってから、ずっとシオリが先に目覚めて配給を調達してくれていたのに、やはり、昨日の出来事で疲れてしまったのか、それとも安心しきったのか…。オレは、その寝顔を見て、起こすのをやめた。
 オレが配給を調達して帰ってきても、座敷にシオリの姿はなかった。もしかして、オレと入れ違いに配給を取りにいったのだろうか。 今日の配給のコッペパンは、いつもと違って苺ジャムが挟まれている。
 だが、味に反比例するようなオヤジとオレの男二人きりの朝食である。
「シオリさん、どないしたんや」
 オヤジは新聞を読みながらパンを頬張った。
「まだ起きてないんか」
 「なんや、まだ寝とんか。病気か」
「いや、昨日は元気やったけどな…疲れが出たんかな」
「ワシらでも、この生活に疲れてるんやから、しゃあないわな。寝かしといたり」
 食事が終わると、オヤジは今や日課となっている誰も来ない店へ向かった。
 昨日、オレとシオリが上の部屋で暴れていたのを知っていてもおかしくないのに、オヤジはその話題を持ち出さなかった。
 そのオヤジと入れ替わるようにシオリが下りてきた。
「おはようございます…」
 シオリは寝起きの顔で座敷を覗いた。
「おはよう。やっと目覚めたか。今朝の配給はジャムパンと牛乳やで」
「えっ。もしかして、あたし、寝坊したの」
「早よ、顔、洗っといで。ちょっと手伝ってほしいことがあるから…」
 そう。「プロジェクトS」を再開する気になったのだ。
「やっと、やる気になったのね。あたしも張り切っちゃう」
 シオリは完全に目覚めた。いや、オレが目覚めたのかもしれない。 成人の日の写真の時と同じ要領で、二人は無断複写したサトコの住所録を片っ端から電話していった。
 ただ、あの時と違って、件数が多いのと、事のなりゆきを説明するのに、かなりの時間を費やしたので、電話作戦は夕方までかかった。
 住所録を一通り電話し終えると、タカシを呼び出した。
「どうやった。サトコの友達は…」
「電話がつながったんは、半分ぐらいかな」
「それで、協力してくれそうな人は…」
「ええと…」
「そうねぇ。三十人ぐらいかな」
 この計画の主導権は、いつのまにかシオリが握っていた。
「電話がつながらんかったところは、どうするんや。成人の日の写真を渡し歩いたみたいにして、その住所地まで行くんか」
「オレも、最初は、そう考えたんやけど、何度も電話して、通じん所は、家も潰れて、アルバムも取り出せてないかも知れんから、あきらめようと思うんや」
「もし、サトコさんの友達を見つけることができても、結婚式の話なんてできないだろうしね」
「うん。妬まれるだけやもんな。それで、どうやって、写真をもらいに行くんや」
「やっぱり車で回るしかないわね。マサル」
「ああ。そやけど、広い範囲に三十人も散らばってるから、どのように回ったらええか…」
 オレはため息をついた。
「…マサルだけで、回られへんって言うんやったら、オレも手伝うで」
「そうか、手伝ってくれるか。何しろ、知ってのとおり高速道路が倒れてるやろ。道という道は渋滞してるからなあ」
「何日かけて全部回るんや?」
「働いてる人もおるし、留守の場合もあるやろうから、効率的に一週間ぐらいかけて回ろうと思うんや。街がこんな状態なんで、みんな、それで了解してもらってるし」
「一週間か…」
 タカシは天を仰いだ。
「一週間ぐらい、職安行かんでもええやろ。どうせ失業保険がもらえるんやから…」
 それまで、天井を見つめていたタカシが、突然、オレを睨み付けた。
「マサル。一週間ぐらいはないやろ。その一週間の間に、ええ仕事があったら、どないするんや」
「この一週間で約束を取りつけてるんや。都合のええ時間がちぐはぐなんで、正直なところ、タカシも別ルートで回ってほしいんや。一生のうちの一週間ぐらい、どうってことないやろ」
 タカシはこたつを叩きつけて、立ち上がった。
「そんな言い方はないんと違うか。この一週間でオレやサトコの一生を棒に振るかも知れんやないか! 無職で婚約した男にとって、就職することは一生の問題なんやぞ! おまえみたいに親の商売を継いでたら、ええっちゅうのとは訳が違うんや」
「なんやと!」
 オレもとっさに立ち上がった。
「今は夕方やから、ここに居るけどなあ。オレはおまえの商売の暇な時間に合わせるわけにいかんのや。無職は無職なりに必死に生きてるんや」
「おまえも手伝うっていうから、お願いしてるのに…そんなに怒ることないやろ」
「何がお願いや…おまえは知らんと思うけど、今、職安は戦場なんや。オレみたいに震災を理由に理不尽な解雇を受けた人ばかりで、あふれかえってるんやぞ。その殆どが営業職の人ばかりや。だから、ええ求人があったら求職者が集中してしもて、面接を申し込むだけでも職安で選別されるんやぞ」
「そやから、気分転換のつもりで、手伝ってほしいんやないか。おまえもサトコさんを喜ばせてあげたいやろ」
「ああ、喜ばせてあげたいよ。でも、今の言い方は、おまえの独り善がりだけにしか聞こえへんぞ」
「オレはそんなつもりで言うたんと違うやないか」
 蛍光灯の真下で、オレとタカシは激しく睨み会った。
「二人ともやめてよ。お願いだから…」
 シオリは怒り高ぶるタカシの腕を必死に引っ張るが、すぐに振り解かれてしまう。
「今、少しでも早く、ええ職を見つけんことにはオレはサトコと結婚できんのや。始めは、ええ話やと思って、手伝う気になってたけど、おまえの考えは、今の言葉で、よう、わかった。おまえの独り善がりにつき合わされるんは、もう御免や」
 タカシは座敷を飛び出した。
 シオリも、そのあとを追ったが、迫力に負けたのか、廊下を三歩ほど出ただけで、すぐに座敷へ戻ってきた。
「ちょっと、あんな言い方はないわ」
「オレ、あいつがなんで怒りだしたのか、わからん。オレも熱くなってもたけど…」
「わからないなら、あたしが教えて上げる。ちょっと座りなさいよ」
 熱くなったとはいえ、オレはなぜ立ち上がっていたのだろう。それすら判断できない。昨日と今日では精神状態が全く違うのに思考回路は同じままのようだ。
「自分さえよければ、他人はどうだっていいと考えてるのね。最初、マサルが、この提案をしたとき、友達思いのいい人なんだって思ってたんだけど見損なったわ」
 普段からシオリは勝気な性格だが、これまで、こんなに強く、オレを怒鳴りつけたことはなかった。オレのオーバーヒートした気分は、シオリに怒鳴られたショックで瞬間的にクールダウンした。
「いや、その、シオリ…」
 商売が頭打ちになり、暇ができ、シオリの励ましもあって「プロジェクトS」に打ち込むことができたのに、その一方でオレは、サトコを幸せにするために、タカシは職さがしに必死だったことを、すっかり忘れていた。これでは主客転倒だ。
 かといって独り善がりや自己満足といったもので、この計画を進めたわけではない。写真館の跡取り息子として、家族を失ったサトコを勇気づけるような気のきいたことをしたかっただけなのだ。
「すまん。オレ、ちょっと調子に乗ってたわ。タカシもシオリもオレに協力してくれてたことを勘違いしとったわ。みんなオレに協力してくれてたんやなくて、オレの提案に協力してたんや。そうやろ。オレが悪かった…」
「それだけ」
シオリは首を傾げた。
「まだ、なんかあるんか?」
「あたし、サトコさんのお友達に電話しているときに気がついたんだけど、この計画の本当の意味は、あなたが考えてるように、サトコさんを喜ばせるためだけじゃなくって、家族を失ったサトコさんに、困ったとき、力になれる友達が、これだけたくさんいるってことをわからせることにもなると思ったの。そうでないとお友達が写真を気軽に渡したりしないわよ。そのお友達にとっても大切な写真なんだから…」
 翌日、予想はしていたがタカシは現われなかった。それから一週間、オレはシオリとともに、地を這うようにサトコの友達の家を回った。

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※写真は『阪神大震災・神戸からの報告書』(データハウス刊・菊地 馨著)64頁に掲載した写真です。

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