連載小説1999年5月1日
 明日の大地へ〜第27節、第28節

◆目次◆

27・不透明な近未来

28・思いつきの完全犯罪

(全33節)


27・不透明な近未来

 三つの避難所をまわり終えた。
 成人の日の写真配達も、残すところ、あと三人である。オレたちが持って出た十四人のうち十一人が、今日、震災前の自分に再会した。いろいろと話し込むうちに人それぞれの地震にまつわるドラマを拝聴した。残る三人も、気紛れな大地の鼓動によって数奇な運命を歩んでいるに違いないだろう。
 そして、ここにある三つの封筒がなくなったとき、オレは本質的に失業してしまう。
 一月二十三日…地震発生から一週間目にして、オレも大地の鼓動に運命が翻弄されようとしていたのだ。
 歩きながら家路につく道中、みんな疲れきったのか、誰も喋ろうとはしなかった。こういうときは気分転換が必要だ。黙っていると、ろくなことを考えない。
 オレは深呼吸を試みた。その時、一瞬の閃きが頭をよぎった。目から鼻へ抜ける…とは、こういうことなのだろうか。
「タカシ。サトコさんと婚約したんやろ」
「なんや、いきなり」
 タカシはあまりにも唐突な質問にビックリした様子だった。そして一瞬、息を飲み込んだ。
「彼女、ひとりぼっちになってしもたからなぁ」
「同情心だけで婚約したんか」
 今日、オレの言葉尻に敏感になっているシオリが隣から、肘でオレの体を小突いてくる。
「オレは同情だけでサトコと婚約したんやないで」
 タカシは語気を強めた。
「いや、そういうことを言いたいんやなくて、この写真を配り終えたら、当面仕事もなくなるやろ…」
「アルバイト代のことやったら、気にせんでもええ。オレが無理やりマサルに頼み込んで、手伝いをさせてもらってるんやから…。今日は写真を避難所の人に手渡すときに、いろんな話を聞いてなぁ…オレって恵まれてるなぁって思たんや。尼崎から来たボランティアに偉そうなこと言うてしもたけど、オレも震度7を経験してないからなぁ。いろいろ考えさせられたわ。オレは余計にサトコを幸せにしたいと思ったな…」
 タカシは、きっぱりと言い切った。
「それでな、オレ、タカシとサトコさんの結婚にお祝いをしたいと考えてるんやけど…」
「お祝いって言われても…結婚の日取りも決まってないし、その前にオレの両親に、このこと言うてないし」
「もし、サトコさんを心の底から愛してるんやったら、ちょっとタカシにも、オレの思いついた結婚祝いに協力してもらいたいんや。ええやろか」
「何をする気や」
「サトコさんのアルバムを復元せえへんか」
「えっ」
 驚きの声を上げたのはタカシではなく、シオリだった。
「サトコさんは家族も家も何もかもを地震でなくしてしもたんやろ。写真一枚も残ってないんやろ」
「ああ。焼け跡には黒くなった瓦礫と灰以外は何もなかったし、サトコはそこから何も持ち帰らんかったしなぁ」
「だからオレは、親友の結婚式のはなむけに、サトコさんのアルバムを復元したくなったんや。どうやろか…」
「でも、どうやって復元するの。サトコさんの家、燃えちゃったんでしょ」
「何もかもが灰になってたから、写真どころか、ネガもないはずや」
 オレはひと呼吸おいた。
「サトコさんの友達からサトコさんの写ってる写真を焼き増ししてもらうんや」
「何!」
「だから、タカシの協力をお願いしたいんや。結婚祝いに当事者に協力してもらうのは、なんか、おかしいねんけど…。それに、仕事がない間、写真館の跡取り息子の誇りを忘れんためにも、ぜひ、やらせて欲しいんや」
 タカシもひと呼吸おいた。
「……そういうことか。協力する…。サトコもきっと喜ぶやろ」
「ありがとう…でも、このことは、サトコさんには内緒にしといてな」
「わかった」
「けど、写真を探した出したところで、どうやって焼き増しするの。マサルところ、現像の機械、壊れてたんじゃなかったの」
「問題はそこやねんけど、まだ、結婚の日取りも決まってないんやから、これからゆっくりと考えようと思うんや」
「相変わらず、思いつきだけは天下一品ね」
 静かな笑い声が沸いた。
 店に戻ると、大野さんは帰ったらしく、オヤジがひとりで夕刊を読んでいた。
「オヤジ、写真取りにきたか?」
「ああ、三人ほど取りにきたわ」
「そうか…」
 オレたちはオヤジと交替して店に残り、今の話の大まかな打ち合せをしながら、残りの客を待つことにした。
「オレが考えてるのは、タカシとサトコさんの結婚式の日取りを決めてしまって、それから、サトコさんの友達に招待状を手渡しながら、写真提供をお願いする…という方法なんやけど、どないやろか」
 タカシは首を傾げた。
「日取り言うてもなぁ。本来ならサトコの家族に、オレが挨拶に行くのが本筋なんやろうけど…。その前にオレも両親に報告せなあかんし…」
「タカシさんのご両親は、サトコさんのことは知っているの」
「ああ。地震のあった日の晩にオレの実家で会ってるし、そのとき、サトコの家族が亡くなったことも伝えてあるけど、結婚することは、まだ言うてない」
「そうか…。でも、今すぐ、この話を実行するわけでもないからな。それはタカシの考えに任せよ」
 突然、シオリは、何かを思い出したように立ち上がった。
「ちょっと待って。この話し、大きな見落としがあるわ」
 オレとタカシはお互い顔を見合わせた。
「サトコさんに知られないように、どうやってサトコさんのお友達を探しだすの」
「あっ」
 シオリの話を聞いていた二人は、同時に声を上げた。
「そうか」
「この計画は、サトコさんに知られたら意味がないもんなぁ」
「サトコを撮った写真なら、家に帰れば出てくると思うけど、それは、ここ半年ほどのものやからなぁ。残りの二十年分の写真がないことには…それにサトコの友達いうても仕事仲間以外は知らんし……あっ、葬式をあげた加古川のサトコの親戚の家にいけば、子供の頃の写真とか、あるかも知れん」
「学生時代の写真もあったほうがええよなあ」
 今まで、ひとり立ち上がってオレたちの話を聞いていたシオリが、また、何か閃いたみたいだ。
「そうだ。サトコさんが地震のあと、タカシさんと一緒に、ここに来たでしょ。あのとき白いハンドバッグを持ってたのよ。もしかしたらアドレス帳みたいなのがサトコさんのハンドバッグの中にあるかも知れない。そこにお友達の名前とか電話番号とかが書いてあるんじゃないかしら」
「あのバッグ、スキーに行くときも持ってたなあ」
「ちょっと待てシオリ。おまえも見落としがあるぞ。もし、アドレス帳があったとして、どうやって、手に入れる。サトコさんは大阪の社員寮におるんやろ。神戸にいたとしても同じことやけど」
「そっか」
 シオリは腰を降ろした。
 話が進められるうちに、オレの思いつきは、誰が言いだしたのかわからないが「プロジェクトS」と名付けられた。Sはサトコの頭文字である。
 その間、来店者もなかったので、ある程度、計画がまとまると、極めてボランティアに近いアルバイトのタカシを帰した。
「タカシ君、帰ったんか」
 タカシが帰ったのとタイミングを合わせるように、奥からオヤジが出てきた。
「ああ。誰も来んからな」
「そうか。ところで、シオリさん。今さっき、水が出るようになったんで、顔でも洗ってくださいよ」
「えっ、いや、あの…」
 シオリは突然、声をかけられたので何をどう返事していいのか戸惑った。
「ガスがまだなんで、お湯は出んけど、冷たかったら、座敷のストーブにあるヤカンのお湯を使ったらええから」
「あっ…はい。じゃあ。お言葉に甘えて、お先に顔を洗わせていただきます」
 軽く頭を下げると、店と家との段差に座っていたオレを押し退け、奥へ消えていった。
「ちょっと、困ったことになった」
 オヤジの顔が、突然、難しい表情になった。
「どないしたんや。断水直ったんやろ。あとはガスだけやないか」
「そうやない。家の修繕や」
「修理代、高いんか」
「大野さんは、あるとき払いで、ええって言うてるんやけど……」
 オレたちは「復興」という道を、少しずつ歩んでいるように思うのだが、それは、濃い霧や砂埃に霞んで何も見えない、どこへ行くのかもわからない道の上に立っているだけのようである。


28・思いつきの完全犯罪

倒壊したビル  一月十七日の大地震から二週間が経った。「兵庫県南部地震」と名づけられた大地震も、被害が拡大するにつれ「阪神大震災」と呼ばれるようになった。
 週刊誌に連載されるシオリの「阪神大震災」レポートは、オレの仕事を手伝いながら自分の仕事もこなしているため、必然的にオレたちの写真館再興計画を密着取材する形となった。
 シオリの原稿が載った週刊誌が発売されると、記事を読んだ全国各地の同業者から励ましの手紙や、物資提供の申し出が相次いだ。シオリは「小林写真館」の屋号だけを文中に書いただけで、住所は書いていないというのに、それらは直接、店に届いた。毎日、毎晩、それらを読むだけで大変である。特に物資提供については、早く返事を出さなければならない。
 地震前…いや「震災」前の取りこぼしとも言うべき、成人の日の写真配達も、範囲を広げての避難所巡りなどで、順調に手渡していくことができた。
 ただ最後の一枚は難航を極めた。伝票に書かれた名前と電話番号から電話帳で住所を調べて現地へ出向いたが、そこは、すでに更地の状態だった。
 近所の人への聞き込み捜査で、そのお客さんの避難先を突き止めることができたが、なんと鹿児島県の親戚の家へ「疎開」しているという。結局、そのお客さんとも連絡がつき、郵送する方法で、なんとか一月中に配達を終えることができた。
 成人の日の売り上げの中から、タカシに細やかなアルバイト料を支払い終えると仕事は完全になくなってしまった。
 二月一日…すなわち今日から小林写真館は開店休業に突入する。 だが、嘆くことばかりではなかった。不謹慎ながら、ここにおめでたい奴がいる。
 タカシだ。ついに自分の両親にサトコとの結婚を告白した。
 ところが、タカシの両親は「ちゃんとした会社に就職して、生活基盤が安定してから結婚する」という条件をつけたらしい。
 もっともな話である。これからの給料が怪しい写真館のアルバイトで所帯を持つのはままならないだろう。
 そして、明日。サトコもタカシを連れて、唯一の身内となった加古川の親戚の家へ婚約の報告に行くことになっている。
 このようなおめでたい話は四十九日が明けてからすべきだろうが、喪に服すべきサトコが「この報告こそが、地震の犠牲になった両親や弟への供養になる」と決心したことにより、日取り未定で婚約の報告をすることになった。
 今日は、そのためにサトコが大阪から帰ってくる。帰るといってもサトコの家は地震による火災で全焼したので、タカシのマンションに戻ってくる…と言ったほうが正しいのかもしれない。
 オレはシオリとともに、タカシの部屋でサトコの帰りを待った。 仕事がなくなったので、暇つぶしに婚約したカップルの私生活を覗こうという悪趣味なことをするためではなく「プロジェクトS」の任務を遂行するためなのだ。
 ピンポン…
 呼び鈴が鳴るとタカシは慌ててドアへ向かった。サトコとの一週間ぶりの再会である。
「おかえり。早かったな」
「ただいま…あれ、誰か来てるの」
「えっ、いや、サトコが帰ってくるまで退屈やったから、マサルとシオリさんを呼び出してん」
 そして、サトコは奥へ招かれた。
「こんにちは。タカシさんが、いつもお世話になってます…」
 サトコはオレたちの顔を見るなり、深々と頭を下げた。あまりにも他人行儀で、それ以上に女房気取りなので、オレたちは恐縮してしまった。
「い…いえ、うちの写真館、もう仕事がなくなったから…お世話なんて…」
 サトコの顔は、一週間前、座敷で会った時と全く違い、生き生きとした笑顔をオレたちに投げ掛けている。
「サトコさんったら、もう奥さんになったみたい」
 シオリは、そんなサトコを冷やかした。
「もう、シオリさんったら…でも、まだ入籍はしてないんですけど、私、住民票はここに移してるんですよ」
「書類上は同棲してるんか…すごいなあ」
 サトコは、ニヤニヤしながら腰を下ろした。
「マサルさんは、実際にシオリさんと同棲してるんでしょ」
「サトコさんも冗談きついなあ。シオリは同棲やのうて、居候やで」
「ちょっと、それ、どういう意味よ。あたし、毎日二回ずつ、あなたの家の配給をもらいにいってるのよ!」
「ごめんごめん」
 タカシはオレたちの他愛ない会話を聞きながら、しんみりとビールを一口含んだ。
「サトコの口から冗談が出てくるようになったから、オレ、嬉しいわ」
 自動販売機は復旧しつつあるが、店は開いていない。したがって、ツマミはなかった。
「あっ、そうだ。私、タカシさんと食べようと思って、大阪でタコ焼きを買ってきたんですけど、皆さんで召し上がってください」
 サトコは、ビールやジュースの缶が並んでいる小さなテーブルに、買ってきたタコ焼きを並べ始めた。
「あの…オレたちは、今日、たまたま、ここに立ち寄っただけで、すぐに帰るから…」
 オレは無下に断ったものの、腰を上げなかった。
「タカシさんが、いろいろご迷惑をかけてるんでしょ。ちょっと冷えちゃってるけど、どうぞ遠慮なさらずに召し上がってください」
「オレはマサルに迷惑かけてないけど、みんなで食べようや」
「どうするの…」
 シオリはオレの目を見た。
 「プロジェクトS」を遂行するためには、遠慮して、この場を去るわけにもいかないし、この時期にタコ焼きとは言え、他人の貴重な食糧を食べるわけにもいかない。タコ焼きごときで、葛藤するのは初めてである。
「じゃ、お言葉に甘えて…」
 オレの返事を聞くと、サトコはタカシに耳打ちをした。
「あの、私、ちょっとトイレに行ってくる」
「うん」
 サトコがトイレに入ったのを確認すると、タカシはサトコのハンドバッグの中を探りはじめた。
「多分コレやと思う」
 タカシはハンドバックの中から小さな手帳を取り出し、オレに手渡した。
 オレは手帳をパラパラとめくり、住所録にビッシリと書かれている友達らしき名簿を見つけた。
「これや。これ。シオリ、帰るで」
 シオリは、恥も外聞もなくタコ焼きを頬張っていた。
「ちょっと待ってよ」
「声が大きい!」
「そやけど、これって犯罪やないのか。弁護士なりそこないの小林君」
 タカシは歯を見せてニヤリと笑った。
「ま、オレも共犯やけど」
「証拠を残さんかったら、事件は立件できん。完全犯罪にせんとあかんから、明日の朝、ドアのポストに放りこんでおくわ。サトコさんに見つからんように返しといて」
「わかった」
 缶ジュースを片手に持ったシオリを引きずりだすように、オレはタカシのマンションを飛び出した。早く手帳を返すために、住所録のコピーを取らなければならない。
 だが、この近くでコピーを取れる場所はない。コンビニエンスストアも文具屋も、まだ閉まっている。しかし、そこは綿密に練られた「プロジェクトS」である。
 写真の配達で世話になったトモミさんの協力で、避難所になっている学校のコピー機を使わせてもらうことになっているのだ。

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※写真は『阪神大震災・神戸からの報告書』(データハウス刊・菊地 馨著)33頁に掲載した写真です。

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