連載小説1999年3月1日
 明日の大地へ〜第25節、第26節

◆目次◆

25・震度7の破壊度

26・疑惑と確信

(全33節)


25・震度7の破壊度

陥没した港  二十一件中、通話に成功したのはタカシが三件、オレが四件。話し中が十四件だった。
 通話に成功した七件は、すべて店へ取りにくる約束を取り付けた。この人たちは地震で家の倒壊を免れ、すでに普通の生活を取り戻しつつあった人たちだろう。なぜなら、予想していた「こんなときに…」などの苦言は全くなかったからだ。
 問題は話のつかなかった十四件である。避難所を探し回るしかない。
 その前に店番を頼むべきオヤジが、オペレーションセンターと化した座敷に戻っていないではないか。
「オレ、オヤジ呼んでくるわ」
 物音から、店にいることがわかった。
「オヤジ。ちょっと頼みたいことがあるんやけど」
 店では、モデル用のソファに大野さんが腰を掛け、カウンターの裏に隠してあったパイプ椅子にオヤジが座り、書類を見ながら、お互い難しい顔をつきあわせていた。
「ん。なんや」
 二人とも、オレの顔を見た。
「あんなあ。成人の日の写真。七人ほど取りにくるねん。だから店番、頼むわ」
「ああ。わかった」
「それで、オレら、みんな連れて、残りのお客さん探すために、近くの避難所を回ってくるわ」
「おう」
「あっ、そうや。お客さんの中で引換証をなくしている人がおるねん。ちゃんと応対しといてな」
「わかった」
「しっかりした息子さんやなあ。感心するわ」
 大野さんは厳しい表情を緩めた。
「大野さん。あんまり、ボらんとってな。うち、貧乏やから…」
 オレが座敷へ引っ込もうとしたとき、オヤジが「こらっ」と怒鳴った。大野さんは笑っていた。この時点では、補修の話はオレたち家族のペースで進んでいるように思えた。
 座敷に戻ると、避難所を探し回る打ち合せを始めた。そう言えば、オレはシオリがいた避難所しか知らない。この近所の避難所を知っているのは、配給を求めてオカンと共に行動していた東京生まれで東京育ちのシオリだけである。
 シオリによれば、この写真館を中心に半径五百メートル以内に少なくとも三箇所の避難所があると言う。
「K小学校だけやないんか」
「うん。マサルのお母さんと一緒に、いろんな避難所を回ったの。やっぱり、いい配給を獲得したいじゃない」
 我が母といい、シオリといい逞しい性格である。
「あたしたちが避難所巡りをするキッカケになったのは、自宅で生活している人にスパゲッティの麺だけしか配給されなかったことからなのよ」
「麺だけをどうやって食べるん?」
 タカシは不思議がった。
「避難所にいる人にはボランティアの炊き出しがあって、麺が茹でられて、ちゃんとミートソースもついてたわ」
「それやったら、なんでオレらだけ麺しかあたらんのや。その前に、オレ、その麺の配給自体知らんぞ。いつもお茶と牛乳とパンとおにぎりしか、もらってなかったやんか」
「だって、もらわなかったんだもん」
「麺だけあればミートソースがなくても、家にケチャップがあったはずやで。ナポリタンが作れるやないか。こんなときに贅沢は言われへんで」
「ガスは使えないし、水も出ないでしょ。せっかく、自衛隊にもらった水で麺を茹でるのは勿体ないじゃない。ゆで汁を飲むわけにも行かないし、手洗いにも使えない。捨てるだけでしょ。それこそ無駄」
「…そうか。それで、K小学校以外に、どことどこに避難所があるんや」
「どこって。あたし、この辺りの地理はわからないし…どう説明したらいいのかしら」
 うつむくシオリに、オレとタカシは気が抜けそうになった。
「そうだ。学校。学校と幼稚園よ」
 シオリは避難所の建物の特徴や道順を語った。おそらく、それはK小学校の東にあるM小学校と、近所の寺が経営している保育所らしかった。
「よし。出掛けよ。ホンマなら、三人手分けして行ったほうが効率的やけど、東京出身のシオリと京都出身のタカシに任せると、瓦礫の街で遭難するかも知れんから共同行動や」
「シオリさんよりは、この近所詳しいで」
 タカシはニヤニヤしながら訴えるが、シオリだって負けてはいない。
「あたし、自慢じゃないけど、この中で唯一避難所生活を体験したのよ」
「冗談や、冗談。誰がどこの避難所におるか、わからへんから手分けするわけにもいかんからなぁ」
 まず手始めに、三つの避難所では、ここからいちばん遠いM小学校へ向かった。
 校門から運動場を見た途端、オレたちは思わず立ち止まってしまった。
 シオリがいた避難所もすごかったが、ここでは校庭にテントが張られ、そこで生活している人がいる。運動場はキャンプ場と化していたのだ。シオリによると校舎の中が満員なので、止むなく寒風吹き荒ぶ運動場で自衛隊の野営テントを借りて避難している人たちだという。
「やっぱりオレって詰めが甘いんやなぁ。どうやって、探したらええんや。このテントを一件一件お邪魔していくのは、気が引けるなぁ」
 シオリがニコッと微笑んだ。
「校内放送で名前を呼び出してもらうのよ。ここでは配給の時間とかは校内放送を使って連絡するの」
 さすがは配給調達係のシオリである。
 早速、オレたちは避難所の本部になっている職員室へ掛け合うことにした。
 応対に出たのは三十歳代ぐらいの小太りの男だった。先生なのかボランティアなのか、わからないがオレたちの申し入れに怪訝そうな顔をした。
「こんな時に成人の日の写真って…避難している人にとって、迷惑になるんじゃないですか。家を失った人や、肉親を失った人もいるんですよ」
 物腰やわらかい口調だったが、迷惑とは何だ。もしかして、オレたちの仕事は有り難迷惑の行為なのか。オレがボランティア精神で、こんなことをしているのならまだしも、すでに写真の代金を頂いている。それを客に渡すだけでなぜ、迷惑と言われなければならないのか。それに、きっと、この写真は被災した人に喜んでもらえるという確信もあるのに…オレは無性に腹が立った。
 オレが絶句していると、タカシが男とオレの間に割って入った。しかも、タカシはオレの考えていたことを、その男に丁寧に進言してくれた。
「そういう意見もあるかも知れませんが、すでに私どもでは、七人のお客様が待ちに待っていたと、喜んでくれたんですよ」
 タカシが喋り終わるか終わらないかのタイミングでシオリまでもが、この男に突っ掛かった。
「いったい、あなたは、どういう立場の人なんですか。あなたも被災したんですか」
 男は息をつまらせた。
「ボクは尼崎からボランティアに来たんですが…。家でもかなり揺れたんですけど、住んでいるマンションは大丈夫だったんで…」
 さらにタカシは丁寧な言葉遣いで彼に迫った。
「ラジオで尼崎市の南部も大変な被害を受けたと聴きましたけど、なぜ、この学校に来たんですか。知り合いでも、いるんですか」
 男は語気を弱め、朴訥と返した。
 「いえ。ボクは大阪の物流関係の会社に勤めるサラリーマンなんですが、地震の影響で仕事がないということで、当分休みになったんです。それで労働組合のほうから、この学校へボランティアに来てくれと言われまして…」
「でも、屁みたいな震度4の大阪の隣に住む尼崎市民の尺度で、震度7をまともに食らった神戸市民のことを推し量るのは、やめてください」
「えっ」
「あなたは私たちに『迷惑』と言いましたけど、もし、この避難所で、この写真を待っている人がいたならば、あなたの一人よがりの判断が『迷惑』になるんじゃないですか」
 シオリもヒステリックに詰め寄った。
「あなた、今の話を聞いてたら、自分から進んでボランティアに来たんじゃないみたいじゃないの」
「おい、シオリ。もう、ええやんか」
 オレは本筋から離れていこうとする論争に、迷惑発言の怒りも醒めつつあった。
「とにかく、あなた方も忙しいでしょうから、放送室を貸してもらえないでしょうか」
 男は「リーダー」に話を通してみるといって、職員室の奥へ消えていった。
 ここは職員室であるはずなのに部屋の壁のいたるどころに労働組合の赤旗が貼られていた。避難所の本部というよりは、どこかの政党の選挙事務所みたいだ。
 それは避難所となった学校よりも異様な光景だった。
「リーダーも許可してくれましたので、今から放送室へご案内します」
 シオリは、また、その男に話し掛けた。
「リーダーって誰なんですか」
「組合の偉いさんのようです。何しろ、勤めている会社が違いますから、ボクもよく、わかりません」
 放送室は職員室の二つ隣の部屋にあった。案内してもらうほどの距離ではない。
 部屋の中では若い女性がマイクの前に座っていて、その周りで子供がはしゃいでいた。
 男は、マイクの前の女性に「ちょっと、この人たちの話を聞いてやってほしい」というようなことを耳打ちしただけで、放送室を出ていってしまった。
「すみません。実は…」
 仕方なくオレは、この女性に、あの男に話したことをもう一度繰り返した。
 話しているうちに、彼女が、この学校を支配していた労働組合の人間ではないことに気がついた。ジャンパーにジャージのズボンは、ボランティアの人間と変わらない出立ちだったが、背中の中央まである黒髪や肩の部分に、雪が降り積もるようにフケが浮かんでいたのだ。
 あの大地震以来、オレたちは風呂どころか洗髪もできないので、フケが出だしていた。シオリの提案で、外へ出かける前は、勝手口の上がり框で、必死に髪の毛をかきむしってホコリとフケを落とすのが日課になっているぐらいだ。
 おそらく彼女はオレたちと同じ立場の人なのだろう。長い髪の毛を洗うことはおろか、解かすことすらできなかったに違いない。

26・疑惑と確信

 一通り説明を終えると、彼女は意外な反応を返してくれた。
「小林写真館の人たちですか。じゃあ、私の写真もありますよね」
「えっ。どういうこと…」
「私も十五日に、撮りにいったんですよ。覚えてますか」
「あの、お名前は」
「平山トモミと言います」
 彼女の名前を聞くなり、シオリはタカシが持っていた紙袋を取り上げ、写真の入ったクラフト封筒の束を調べだした。
「はい。これですね。一応、確認してくれませんか」
 彼女はシオリから封筒を受け取ると、早速、中の写真を出して、じっくりと八日前の自分を眺めた。
 周りではしゃいでいた子供たちも、その様子に気付いたのか、おとなしくなった。
「お姉ちゃん。どないしたん」
「この人らに何か言われたんか」
 そう言われた瞬間。彼女は、ジャンパーの袖で流れ落ちそうになる涙を拭った。彼女の顔にはしっかりと、涙を拭ったあとが残る。
「すみません。つい…」
 彼女は頭を下げた。長い黒髪が、泣き顔を隠す。
「あの、また、改めて伺いますので…」
 彼女が泣きだしたことで、オレたちは子供たちに悪者に思われているようだ。体裁が悪い。オレはタカシとシオリを両手で制して、部屋を出ようとした。
「あの…その、この前なのに懐かしく思えて…。放送しますから、お客さんの名前を…」
 シオリが、オレの手を押し退けて、彼女のそばへ歩み寄った。そしてポケットから、ティッシュを取り出して彼女に手渡した。
「トモミさん。美しい顔が台無しですよ。あたしが代わりに放送しますから…」
 その投げ掛けは、数分前、男と言い争っていたシオリとは違っていた。意外な一面である。
「ありがとうございます。でも…」
「その声で放送したら、ほかの避難している人たちを不安がらせますよ」
 一瞬、彼女はためらった。
「……わかりました。あの、ここがマイクのスイッチです。これで校舎の中も、体育館も、グラウンドにも流れますから……」
 放送席をシオリに譲り、彼女はオレに「家族にこの写真を見せてきてもいいですか」と告げて、駆け足で部屋を飛び出した。周りで燥いでいた子供たちも彼女の後を追う。
 オレは、その長い黒髪に引かれるように、彼女の背中を見送っていると、シオリが襲いかかるように、背後から怒鳴りつけてきた。
「ちょっと、早く伝票貸してよ」
 オレの手から伝票をひったくった。
「あっ、そうだ。タカシさんはデパートに勤めていたのよね。こういう場合、どのように放送すればいいのかしら」
 タカシに話し掛ける時は、怒鳴り声が消えていた。もしかするとシオリはトモミさんに嫉妬しているのか?
「オレは外商やから、よう、わからん。こういうのはサトコが得意やねんけどなぁ」
「そうね。サトコさんって受付案内嬢だもんね。でも、タカシさんって、他人と接しているときは、すごく丁寧な言葉遣いをしてたでしょ。尊敬するわぁ。誰とでも関西弁で喋る誰かとは大違い」
 シオリはオレを横目で睨みつけた。やっぱり嫉妬している。
「あ、あのなぁ。そんなことより、早く放送したらどないや」
「わかったわよ。で、タカシさん。出だしは、どう喋ればいい」
「そうやなぁ。デパートやったら『お客様のお呼び出しをいたします』って言うけど、ここで『お客様』はまずいよなぁ」
 シオリは天を仰いだ。
「そうねえ」
 しばらく考えているかと思えば、また、オレを睨みつけた。
「こらっ、そこの浮気男。あなたなら、どう言う」
「誰が浮気男やねん。やっぱり、この場合は、避難生活をしている人たちにお見舞いのコメントを入れてから名前を読み上げるのがええんやないか。それに『成人の日の写真ができた』というコメントは省こ。さっきの男やないけど、当事者でない人には迷惑と思われるやろなあ」
「最後は『今、名前を呼ばれた方は放送室にお越しください』でしめたほうがええな」
「うん。それで行こ。そう言うことや。張り切って頼むで。石井アナウンサー」
 オレはシオリの背中をポンと叩いた。
「でも、最初の見舞いの言葉とかは、どう言えばいいの」
「それは、キミの豊富なボキャブラリーの中から考えれば…」
「もう」
 シオリは腕組みをして、また天井を見つめた。
 そして、マイクのスイッチを入れた。
「このたびは、大地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。小林写真館では今から、お名前を呼み上げる方々を探しています。お名前を呼ばれた方は、お手数ですが、至急、一階の放送室までお越しください」……
 シオリは伝票を見ながら、トモミさんを除く十三人の名前を二回ずつ繰り返して読み上げた。二回ずつ繰り返すことは打ち合せにはなかったが、アドリブの間に、タカシが、そっと耳打ちしたのだ。さすがはデパート案内嬢の彼氏である。
……「今、お名前を読み上げられた方は、至急、放送室へお越しください」
 念を押して、スイッチを切った。
「なかなか、やるやないか。惚れ直したで」
「うん。うまい」
 シオリは向き直り、照れ笑いを浮かべながら、トモミさんとは対照的な短い髪をかいた。そして放送室に封じ込められたオレたち三人は、戸が開くのを待ち続けた。
 コンコン
 喧騒の廊下からしんと静まりかえった放送室にその音は響きわたった。
「はい、どうぞ」
 立っていたのは、成人の日の写真とは縁遠い中年女性だった。
「先程の放送で名前を呼ばれたんですが、もしかして、成人の日の写真のことですか」
「はい。あのお名前は…」
「大原です」
女性は深々と頭を下げた。
「大原さんですね。こちらにお掛けになって、しばらく、お待ちください」
 シオリは立ち上がり、座っていた椅子を、その女性の後へ差し出した。
 女性は「はい」と呟き、その椅子に、ゆっくりと腰を降ろした。
「大原さんのお写真だと思うんですが、とりあえず、中をお改めください」
 気持ち悪いぐらい丁寧な言葉遣いをするシオリは、探しだした封筒を、その女性に手渡した。
「あの、つかぬことをお伺いしますが、娘さんは…」
 口寂しくなったオレも思わず、写真を見つめる女性に話し掛けた。シオリが後でオレの袖を引きながら「なんてことを聞くのよ」と小声で囁いているのを無視して…。
「いえ構いません。地震で家が完全に潰れてしまったんですが、私と主人はなんとか助かったんです。ただ、二階の奥の部屋で寝ていた娘は、生き埋めになり、地震があった日のお昼ごろに助けだされたんです。その時に、足を骨折して、今、歩けない状態で、この学校の保健室で寝ているんです」
「そうですか…」
「でも、あの状態の中でも生き延びれたんですから…運の強い子です。それに、この写真が出来上がるのを地震の後も楽しみにしていましたし…」
 この女性の話を聞くうちに、オレの考えは正解だと確信した。あの男は、避難住民に成人の日の写真を手渡すのを「迷惑」と言ったが、あの大地震を命からがら生き延びた人にとって、この写真が、少しでも今の悲惨な気分を和らげるものになるなら、この上ないことである。
 オレが、この女性と話をしている間にも、すでに何人かが写真を取りに来ていて、タカシとシオリがせっせと応対にあたっていた。 女性は、それを察してか、すっと立ち上がり「ありがとうございました」と頭を下げて放送室から出ていった。
 来訪者が途切れると、オレたちはトモミさんが、調達してくれたパンを食べながら時間をつぶすことにした。
「さっき、なんで写真を見て泣いてたんです?」
「晴れ着なんて滅多に着ないから、成人式に行く前に、ちゃんとした写真館で写真を撮ってもらおうと決めたのは私自身なんです。出来上がるのを楽しみにしていたんですが、あの大地震でしょ。まさか、写真が届くとは思わなくって…なんだか、嬉しくなって」
「そうやったんですか。そんなに喜んでもらえて光栄です」
「夜に、もう一度放送してみるので、写真を取りにこられなかったお客さんの名前を教えてくれませんか」
「なんで、また」
「昼間は、潰れた家の中から家財道具を掘り起こすために避難所にいない人が多いんですよ。だから、もう一度、夜、放送で流してみます」
 残りは六人。トモミさんは机の上にあったメモ用紙に名前を転記した。
「さっきのシオリさんの放送を参考にさせてもらいます」
 オレがトモミさんと話している間、ずっと不機嫌だったシオリも、最後は照れ笑いを浮かべ、この避難所を後にした。

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※写真は『阪神大震災・神戸からの報告書』(データハウス刊・菊地 馨著)105頁に掲載した写真です。

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