連載小説1998年7月1日
 明日の大地へ〜第17節、第18節

◆目次◆

17・エゴイズムの因果応報

18・ひとつ屋根の下

(全33節)


17・エゴイズムの因果応報

中間崩壊した神戸市役所  オカンは石油ストーブを点火した。
 そして、袋の中から、缶を取り出し、その上に乗せ始めた。
 それを見届けた後、オヤジがポツリと喋りだした。すでに顔から穏やかさが消えている。
「ワシ、店を片付けながら思ったんやけど、カメラがほとんど壊れてしもて使いものにならんし、店もボロボロやし、店、閉めよかと思てるんや。ええ潮時や…」
 オカンも、シオリも、もちろんオレも驚いた。オヤジは完全に気力を失っている様子だが、その実、ものすごく無責任なことを言っているではないか?
「オレは、どないなるんや。一応、ここの経営を任される予定やったんやろ」
「おまえ確か弁護士になりたいとか言うてなかったか」
 突然、古い証文を持ち出してきた。確かに学生時代は法学を専攻したので、司法試験に向けて頑張っていたが、休講の日、この家へ帰ってくるごとにオヤジが「店を継げ」と口癖のように言ってくるわ、下宿にも電話してくるわ…オヤジのマインドコントロールにかかってしまい勉学はおろそかになってしまった。だから、こうして、ここで働いているではないか。
 とは言うものの、この状態から店を再建するには大変である。ハッキリといってこの家の収入は小さな写真館の収入だけである。オヤジが年金をもらうのは、まだ先のことである。
 その前にオレは、どうなってしまうのだ。街がこの状況ではアルバイトにも行けやない。今から、また司法試験の勉強をしてみたところで、死ぬまでに弁護士になれる保障もない。そうこう考えているうちに、あることを思い出した。
「成人の日の写真。あれ、どないするんや」
 オヤジは息をつまらせた。
「マサル。あんまりお父ちゃんを責めたるな。孫も亡くなって落ち込んでるんやから」
 オカンはオレを睨んだ。そこにシオリも参戦してきた。
「そうよ。マサルは、若いんだから何にでもなれるわよ」
 無責任パンチの応酬である。人間は、この緊迫した状況で、ここまでエゴイストになれるものなのか。他人はともかく、血のつながった者同志でも。
「そう言うけどなぁ、成人の日の写真の仕事は、まだ終わってないで。店を辞めるんやったら、それぐらいはケジメとして、やり遂げるべきやないか」
「こんなときに成人の日の晴れやな写真見て喜ぶ人間なんかおるんか…。現に誰も何も言いに来んやないか」
「無責任やなぁ。お金、前払いでもらってるくせに地震で店が潰れたから仕事はせんでええって言うんか」
「金は、家が落ち着いたら返すつもりや。暗室も機械が壊れてるし壁も穴が開いてるから焼付はできん」
「ということは、ネガはあるんやろ。それをよその店でプリントすればええやないか」
 オヤジとの舌戦の途中で、オレは今朝、出会ったサトコさんの両親の話を思い出した。
 ひとり暮らしの娘が住んでいたアパートは全壊。サトコさんは無惨な死に方をした。そして両親の家も火事で焼失。せめて、娘の形見として写真さえあれば…と嘆く両親の話を、今や敵と化した家族やシオリの前で吐露した。
「つまりや、成人式の晴れ着の写真でも、今は見たない人もいるかも知れんけど、娘さんが成人した記念に撮った写真に違いないはずや。いずれ嫁いで親元を離れるやろ。そんなときに親御さんも娘さんの写真を思い出として手元に置いておきたいと思うんと違うか」
 敵は熱心にオレの話を聞きいってくれた。
「サトコさんの家のように、家が潰れたり焼けたりしてスナップ写真やアルバムを失った人も多い。これは単なる記念写真ではなく、地震前にしっかりと生きていた証拠の写真として、きっと必要になるはずや。オレらの仕事は有意義な仕事やと思うけどなぁ」
 オヤジは腕組みをした。シオリはオレとオヤジの顔を何度も見比べた。
「そういう考え方もあるな。ワシもノリコの写真を今も大事に持ってるもんなあ」
「オレはオヤジに店を辞めるなと言うてるんやないんや。今、オレたちができることをしてから、今後のことを考えればええんと違うか」
 しばらく、みんな黙りこんでしまった。
 その無言を打ち破るように、オカンは、ストーブに置いてあった缶をこたつの中央に並べはじめた。
「歳が歳やから、前向きに考えられんようになってしもたんやな」
 みんなで缶のお茶をすすると、誰が言ったわけでもないが、店に向かった。シオリもついてきた。
「マサル。ちょっと、ちょっと」
「何や」
「さっきはゴメン」
「別に気にしてないで。ちょっとムカついたけど…」
 オレは冗談のつもりで握り拳をシオリの目の前に持っていった。
「ところでさあ、頼みがあるんだけど…いいかな」
 シオリは、その拳を握りしめ、ゆっくりとオレの膝元へ下ろした。
「頼み?」
「実は昨日、電話である週刊誌の編集長から、今度の地震のことを書いてほしいって言われてるんだけど、今日のマサルの話をネタにしていいかなあ」
「えっ!」
 オレは口から出任せで言ったわけではないが、みんなの消極的かつエゴ剥出しの発言に頭にきて、その勢いで提案したことである。それを週刊誌に…。
「すごくいい話だと思ったわ。大地震で打ち拉がれた神戸の人が前向きに生きていこうとする姿は、全国の人びとに知ってもらうべきだと思うの…」
 シオリがマスコミ業界の人間であることをすっかり忘れていた。ここで「イヤ」と言ったら、シオリはどんな反応を示すだろう。もしかするとオレから離れていくかもしれない。
 余震や建物の崩壊などは怖くないが、今、オレはシオリと離れるのが、とても怖い。シオリとともに、この苦境を過ごしてきたからだろうか。シオリと一緒にいる時間が、とても心地よいのだ。だから、この時間を失いたくなかった。
「ねえ。イヤなの…」
「え、あ、その…シオリがそう思うんやったら、書けばええんやないの」
「原稿は電話で出版社の担当者に話せばいいことになっているの」
 シオリはシオリで、オレが了解するのは当然だと思っているような返事をした。
 そして「忘れないうちに電話してくるわね」と言いながらシオリは手を出した。
「なんや。お金もらうんやったら、こっちのほうやで。ネタを作ってあげたんやから」
「違うの。車のキーを貸して」
「なんでや。家の電話、使ったらええやん。つながるみたいやから」
「だって、聞かれると恥ずかしいもん。あたしのケイタイで電話するわ」
「もし、この店があかんかったら、オレを助手として雇えよ」
 シオリが慌てて出ていく様子を見ていたオカンは「シオリちゃん、どないしたん」と訊ねてきたが、オレは適当に「ちょっと家へ電話しに行った」とうそぶいた。このことは親に黙っておくのが得策だろう。
 同時に、こんなことを思うオレが一番自分勝手で無責任ではないのか…とすら思えた。

18・ひとつ屋根の下

 すっかり夜になったが、昨日の夜よりは明るかった。停電が直ったからだ。
 シオリと共にシオリの荷物を取りにガレージへ来るとテントの位置が少し変わっていた。それに今日は、ロウソクではなく裸電球が灯っている。
「こんにちは」
 荷物を取る前に、テントに立ち寄ってみた。
「おっ、久しぶりやなぁ。ボン」
 大野さんはまた酒を呑んでいた。テントの中では大野さんの仲間と思われる男ばかりが四人、車座になっていた。朝、テントにいたお婆さんやサトコさんの両親の姿はない。
「なんか、ええもん食べてたんですか」
 車座の中心には、ラーメン鍋のかかったカセットコンロが鎮座している。
「あっ、これか。これ、オレの仲間が持ってきたんや。これで酒を燗にしてたんや。一杯呑むか」
「いや、ええです。それより、お婆さんたちは、どこへ行ったんですか」
「小学校や。ここは寒いからなぁ。それに、ワシの仲間が入り浸ってむさくるしいし。ワシも家に帰りたいんやけど、入院施設になってるし」
「そのわりには、テントの場所が変わってるようやけど」
「よう気がついたなぁ。ここにお婆さんのためのバラックでも建てたろうと思ってな。昼間、こいつらと土地の寸法を計ってたんや。そういうたら、ボンも昼間、おらんかったけど、どっか行ってたんか」
 大野さんは小指を立てて、ひやかすように、
「コレは、昼間、ちょこっと車の中に居ったみたいやったけど」
「家の片付けしてたんや。親も避難所から戻ってきたし」
 大野さんは手に持っていたカップ酒を一口呑んだ。
「家は大丈夫やったんか」
「建ってることは建ってるんやけど、壁と瓦が剥がれ落ちてしもて…」
「そら偉いことやな。なんやったら修繕するで。大阪から仲間集められるし」
「その時は頼むわ。オヤジと相談せんとあかんから」
「お金のことやったら心配いらん。ボンには昨日、世話になったからなぁ」
 オレは大野さんと一緒に遺体を掘り出した以外は、逆に大野さんに世話になりっぱなしである。遺体を掘り起こしたことも、島崎さんに無理やり引っ張られてしたことだから、大野さんを手伝ったという認識がない。もしかすると酔っ払って気が大きくなっただけなのか…そんなことを考えて戸惑っているとき、テントの外でオレを待っていたシオリが突然、オレの前にしゃしゃり出てきた。
「こんばんは。お世話になりました。あたし、この人のガールフレンドの石井シオリと言います。パンを頂いたり、おトイレをお借りしたり…お世話になった大野さんに、あたしもお礼がしたくて…ありがとうございました」
 シオリは深々と頭を下げた。
 大野さんは「うん」とうなづくと、オレたちを「この幸せモンが。憎いなぁ」などと冷やかした。大野さんの仲間も合わせるように騒ぎ立てた。
 オレは恥ずかしくなって、シオリの腕を引っ張り、車からシオリのカバンを持ち出すと逃げるようにして、ガレージを出た。
 家に戻ると、オレの部屋の隣にある姉の部屋へ、慌ててシオリを押し込んだ。
「いきなりビックリするやないか」
「照れなくてもいいじゃないの。事実なんだから」
「照れてない!」
「あたし、眠たいから寝るね。添い寝してほしかったら、あなたの部屋に行ってもいいんだけど…」
 オレは、押入から敷き布団を取り出した。布団はホコリまみれだ。姉が結婚してから一度も、この布団を押入から出すことはなかった。そこに家が地震で揺さ振られたので、余計にホコリをかぶっている。
 オレは、照れ隠しも兼ねて、布団をバタバタさせた。
「うわっ。すごいホコリ。せっかく綺麗に片付けたのに」
 思わず二人とも咳き込んだ。
「自分で布団を敷くから、いいわよ」
 オレが敷布のシワを伸ばしていたところ、その上からシオリが掛け布団をバタバタさせた。
「何するんや」
 暴れていると、下からオヤジの怒鳴り声が聞こえてきた。
「こらっ。ほたえるな。家が潰れるやないか!」
「あなたが暴れるから、怒られたじゃないの」
「そもそも、おまえが突然しゃしゃり出てくるから…」
「照れなくたっていいじゃない。あたし、この地震であなたのこと…よく分かったし…」
 いつのまにか、オレたちは「おまえ」「あなた」と呼び合っていることに気がついた。
「お、おま…シオリ。早よ寝てくれ。オレも、自分の部屋で寝るから」
 シオリにかぶせられた掛け布団の間からゴキブリのように、オレは部屋を這い出た。

 一方、地震の前から今日まで誰もいるはずのなかったタカシのマンションも部屋の中は荒れていた。スキー出発前にきちんと片付けたのに、クローゼットの扉が開き、中にあるはずの服は泥棒が荒らしたかのように飛び出していたし、ほとんどコミックばかりを陳列している本棚にいたっては、狭い部屋の中で堂々と眠っていた。その上にあったミニコンポは、引っ繰りかえりバルコニーの窓の手前まで飛ばされている。バルコニーのガラスも割れている。テレビもアンテナやビデオのケーブルを引きちぎって暴れていた形跡が残っている。
「建物は大丈夫やと思ってたけど、中はメチャクチャやなぁ」
 タカシが部屋の状況をつぶさに観察しているあいだ、サトコは部屋に入らず、廊下でずっと佇んでいた。
「そんな所におらんでも、入って…ちょっと散らかってるけど」
 ちょっとどころではなかったが…そっと、サトコを招き入れた。
「そこに座っといて、今、片付けるから」
 部屋の隅にあった大きなクッションにサトコを座らせようとしたが、サトコは首を左右に振って拒んだ。
「私も手伝います」
「いや、今日は、いろいろあって疲れてるやろうから、休んでて」
「でも、私、昨日からずっとタカシさんのお世話になっているし…。少しはタカシさんのお役に立たないと…」
 タカシは天井を見つめた。
「…そうか。それじゃあ、ちょっとだけ手伝ってもらおかな」
 二人は大掃除さながらの部屋の復旧作業を行なった。とりわけサトコは、かいがいしく働いた。
 一通り部屋が片付くと、タカシはクローゼットから布団を出し、片付けたばかりの部屋に敷き始めた。
「枕がひとつしかないなぁ」
「私、枕なんてなくてもいい」
「あ…そうや。枕、もうひとつあったわ。だから、この枕はサトコが使ったらええわ」
「もうひとつの枕って…もしかして、私以外の女の人の枕なの…」
 サトコは目を潤ませた。サトコが枕を無下に拒むので、出任せを言ったつもりだが、不用意な言葉だった。
「いや…違う、違うで。この部屋に来た女の人はサトコが初めてや…嘘やないで…ほら、あの…写真館のマサルがときどき、この部屋に入り浸るんや。それで、マサル用の枕があるんや」
 この発言の一部は嘘ではなかった。これ以上、サトコと話すとタカシが墓穴を掘る以上にサトコを傷つけそうなので、慌てて蛍光灯を消した。
 タカシは片付けられた本棚から漫画の本を五冊ほど無造作に抜き取り、敷き布団とフローリングの間に、それを入れて枕を作った。
 ところが、真っ暗なはずの部屋の中で、タカシの腰のあたりに光る物体を見つけた。タカシが、もぞもぞと、その方向に動きだそうとすると、サトコがタカシの背中にしがみついてきた。
「行かないで」
「でも何か光ってるから…」
「怖い」
「たぶん、留守番電話が入ってると思うんや。ちょっと聞いてみるから…」
 光源を頼りに電話のある場所まで這い出し、再生ボタンを押した。
「メッセージは二件です」ピーッ「十時五十三分」
 電話にインプットされた無機質な音声が留守番電話の入った時間を告げる。後を振り向くとサトコも布団の上に座り、光る電話を見つめていた。
「タカシ、さっき会社の辻さんから電話があったけど、まだ、会社行ってないんか。大阪に電話してくれって言うてたで」
 母の声だ。
ピーッ「十二時十七分」
「昨日、あれだけ出てこいて言うたのに、出勤せんと!。おまえは、もうクビや。人事部長が、そういうてたぞ。上司命令を聞かんとオンナと遊んでるようなヤツは懲罰の対象やからなぁ。失業保険関係の書類、送るから、それもって職安でも行け」
ガチャン!
 辻課長である。
 タカシが入社してすぐに、外商部門はリストラの対象とされ、少しでも成績が悪いと、誰であろうと簡単にクビを切っていった。デパートの外商部門といっても、所詮セールスマンである。ノルマに達していないというだけで、タカシと同期で入社した者でも、何人かは解雇されているのだ。タカシ自身も入社一年足らずということもあり、決して成績がよかったわけではないが、クビに対して、それほどのショックはなかった。
「ごめんなさい。私のために…」
 一緒に辻課長のお小言を聞いていたサトコがポツリと謝った。
「何を言うてるんや。サトコの家族のことが何よりも大事やないか。サトコのせいと違う。地震が悪いんや。謝らんでええ」
「でも…」
「大丈夫や。オレはクビになったけど、サトコは公休になってるんやから…心配せんでもええで」
 もちろん、サトコは自分の職の心配をしていたわけではない。サトコの家族の死亡を確認するために、神戸まで送ってくれたタカシが、事情を知らないとはいえ、課長に怒鳴られ「懲罰でクビ」になったことに罪悪感を抱いていたのだ。
「気にするな。オレのクビとサトコは関係ない。今から、過去は振り返らんとこ」
 サトコをなだめて、布団の中へ潜りこんだ。 開き直ったタカシは、すぐに寝付いたが、サトコはどうだったのだろう。

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※写真は『阪神大震災・神戸からの報告書』(データハウス刊・菊地 馨著)67頁に掲載した写真です。

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