連載小説1998年3月1日
 明日の大地へ〜第13節、第14節

◆目次◆

13・京都の夜

14・謎の死者

(全33節)


13・京都の夜

1995年1月17日「神戸新聞」夕刊  一月十七日午後八時、タカシの車は京都市内を走っていた。
 神戸へ向かうの車だろうか「救援物資輸送中」の貼り紙をしたトラックや救急車、消防車が道路を覆い尽くしている。
 大通りから、少し人気の少ない細い道路へハンドルを切った。高速道路でも平均時速二十キロで走っていたタカシの車は、ここで平均時速五十キロ前後に加速して、古い家並みを抜けていった。
 五分ほど突っ走ると、車は一軒の家の前に止まった。
 玄関先でタカシが「帰ったでぇ」と声をかけた途端、奥からタカシの母が慌てて飛び出してきた。
「タカシ、エラいこっちゃ。あんたの会社から電話があって、明日から姫路の店へ行ってくれて…」
「どうゆうこっちゃ。会社は明日も休みになってるはずやのに」
「まぁ、とにかく、せっかく帰ってきたんやから、奥に入って。お嬢さんも、さぁ」
 二人は居間に通されると、母から詳しい話を聞かされた。
「神戸の店が今朝の地震で潰れたから、営業はできんのやて。とにかく、帰ったら大阪本店の辻課長に電話してほしいって」
 母から、大阪本店の電話番号をメモした紙を受け取り、テーブルに置かれたコードレス電話に、その番号をプッシュした。
 もう、夜も遅いので、いるはずもないと思っていたが、いきなり電話に出たのは辻だった。
「向井です。今、母から聞いたんですが、どういうことなんですか」「今まで、どこに行ってたんや。キミの家に何遍も電話したのに…。もしかしたら地震で死んだんとちゃうかと思て、キミの実家へ電話してみたら、呑気に女とスキーに行ってたんやてなあ」
 辻の後で、忙しく人が往来している気配を感じる。
「今朝の地震を知っとるやろ。あれで神戸の店が潰れたんや。それでキミは、明日から姫路店へ赴任してもらうで」
「なぜです。オレ…いや、私は明日まで休暇になってるじゃないですか」
「キミは会社の一大事に何を言っとるんや」
「もっと、詳しく教えてくださいよ」
「つまり、社の意向としては、神戸の店は再建に二年ぐらいかかるらしいから、その間、神戸の販売と外商は、大阪と姫路と岡山に分散することになった。それで外商3課は姫路の外商と合流することになったんや。あんまり、長いこと話できんけど、わかったか」
 電話の向こうは殺気立っている。
「休暇取り消しのうえ、いきなり姫路やなんて…」
「おまえなぁ、こんな時に女とスキーに行ってただけでも大概やのに、甘いこと言うてたらアカン。社会人として失格や。働くべき職場がないんやから、しょうがないやろ。人事の話では配置転換に背く人間は新人でも何でも、解雇の対象やて言うとる。神戸のパートも全員解雇する予定やから、クビになりたくなかったら、明日はちゃんと姫路店へ来い。わかったな。働けるだけ有り難いと思え!」
「あの…」
 電話は強い衝撃音を残して切れてしまった。職域は違うが、同じ店で勤めているサトコはどうなるのか…サトコの上司へは、どこへ連絡すればいいのかを聞こうとしたのに。
「なんちゅう横暴な話や。明日、姫路へ行かなクビになるらしい。そんな話、無茶苦茶や」
 ソファに腰掛けながら、つぶやくようにタカシは怒鳴った。やりとりの一部始終を、虚ろな眼で見ていたサトコも、がっくりと肩を落とした。タカシとサトコの前に座っていたタカシの両親もうつむいた。とりわけ母は大きなため息をついた。
「私も電話してみる」
 サトコは突然、首をもたげ、コードレス電話を手にした。
「あの、あの、神戸販売1課の山本課長は、そちらにおられないでしょうか」
 か細い声で受話器に向かった。その間、タカシの父親は席を立ち、居間を出た。
「課長。私です。松浦です」
「松浦…ホンマにインフォメーションの松浦サトコなんか」
「はい。そうです」
「おかしいな。従業員の死亡者の名前として、ここのホワイトボードにサッちゃんの名前が書いてあるけど…」
「えっ」
 しばらくの沈黙。
「生きてたんか。よかった…そやけど、ご家族…今回は気の毒なことになったなぁ」
「どういうことですか?」
「あれっ、知らんのか」
「いえ、私、その…友達とスキーに行ってたものですから…今、京都なんです」
「そうか。何にも知らんのやな。灘に住んでる高野主任が自分の動ける範囲で、神戸の社員の家をずっと回ってるんや。携帯電話で本店に安否の報告を入れてもらってるんやけど、サッちゃんとこの家…全壊したらしくって、全員…」
「うっ…」
 サトコは息をつまらせた。
「家族のご遺体が、昼すぎ、自衛隊に発見されて…」
 サトコの血の気が引いていったのが、同室していた者にもわかった。持っていたコードレス電話を床へ落とすと同時に、その体は、タカシの膝へ重なるように倒れた。落ちた電話からは山本の「もしもし」の連呼がかすかに聞こえるので、タカシは膝のサトコをかばうように、その電話を拾い上げた。
「あの、オレ、神戸外商3課の向井といいます。いったい何があったんですか」
 山本は、驚いた。
「な、なんやキミは」
「いえ、サトコとスキーに行ってたもので…神戸の大地震のニュースをホテルで見て、休暇を一日切り上げて急いで帰ってきたんです。そしたら渋滞に巻き込まれて、今、オレの京都の実家におるんですが…」
「そうか。サッちゃんは、何も知らんかったんやな」
「はい。ラジオで家族の名前が出たのを知ってるんですが、自分の名前も呼ばれたんで、もしかしたら何かの間違いではないかというふうに考えてたんです。それで今、失神したみたいで…」
「そうか。それでキミは明日、どうするんや」
「姫路店へ行くことになってるんですが…」
「今、京都におるんやな」
「はい」
「わかった。サッちゃんは、私の権限で一週間の休暇を出すから、キミは出勤途中でええから、サッちゃんを、せめて神戸の遺体安置所まで送ってやることはできんか…」
「はい。場所とかはわかりますか?」
「東灘区西岡本の東灘病院に安置されているそうや。私はちょっと、その辺りの土地勘がないんで、ようわからんのやけど、サッちゃんの家に近いらしいわ」
「とにかく、明日、サトコを連れていきます」
「頼むわ。ホンマは私も、線香だけはあげたいんやけどなぁ。会社全体で従業員が十人ほど亡くなってるんで、手が回らんでなぁ…。サッちゃんの気が落ち着いてからで、ええから、この電話番号で私のところまで連絡してくれるように言うといてくれへんか」
「はい」
 サトコの上司の課長は男だが、タカシの上司とは全く態度が違う。女性が多い販売課とむさくるしい男ばかりの外商課では、同じ会社で、こうも対応が違うものなのか。もちろん、そんなことをゆっくりと考えている場合ではない。
 膝の上で失神し、涙を流すサトコを気にしつつ、母にサトコの身の上を説明すると「早く連れていったり」の一言で、タカシを追い出そうとした。
 そして、サトコを車の後部座席に、ゆっくりと寝かせた。目覚める気配は全くない。
 エンジンをかけた瞬間、タカシの父が出てきた。
「これ、なんや」
 父は三万円の現金をタカシに渡した。
「神戸の方は、何かと大変らしいから、帰り道に食べ物でも買っていけ」
 実家でのんびりと休むことなく、再び車は神戸へ向けて発進した。

14・謎の死者

 コンコン、コンコン
 こんな物音でオレは目覚めた。べったりと横にくっついているシオリは、全く、その音に気がつかない様子だ。
 窓を見ると大野さんが立っていた。いつのまにか夜も更け、すっかり外は明るくなっている。しかし、大野さんの背景に見える瓦礫の町は、昨日と変わっていない。
 窓を開け、大野さんにボソボソと挨拶をすると、オレにパンとコーヒー牛乳を手渡した。
「朝飯や」
 もちろん二人分だ。
 オレがズボンのポケットから財布を取り出そうとすると、大野さんは「金はいらん」と断った。
「そやけど…」
「心配せんでもええ。大阪からワシらの仲間が届けてきよるんや。今の神戸ではパンも牛乳も手に入らへんからなぁ。タダでもらうんがイヤやったら、昨日の日当やと思てくれ」
「そうですか…それでは遠慮なく」
 口をポカンとあけて、完全に安心しきった寝顔…とても女性とは思えない、はしたない寝顔のシオリを起こした。
「朝やで。起きろ」
 ボンヤリしているシオリにパンとコーヒー牛乳を手渡した。
「もう、朝なの。そう…」
 シオリは座席に座り直したが、寝癖がすごかった。オレは吹き出しそうになった。
「どうしたの。笑っちゃって」
「いや、その…鏡見てみい」
 食糧を傍らに置き、慌ててカバンの中から小さな手鏡を取り出した。
「うわーっサイテー。何これ」
 シオリは完全に目覚めた。
 ロングヘアの女性の寝癖は愛敬があるが、シオリのようなショートカットの、それもオレの体と接触していた左側だけがピンと跳ね上がった髪は、愛敬もなく、ただただ不恰好である。何度も何度もクシで解かすが、無駄だった。
「ねぇ。どこかシャワーないかしら」
 シオリは狭い車内で慌てふためいた。そういえば、オレもここ二日間はシャワーはおろか風呂にも入っていないし、歯磨きも洗顔もしていない。断水は直っているのだろうか…。
「あとで大野さんに聞いてみるわ。とにかく、朝飯、食べよ。何しろ、神戸では食い物が手に入らんらしいから…」
 せめて気分だけでも変えようと、ラジオをつけた。
「地震の影響で、東灘区ではガスタンクが損傷。そこから石油液化ガスが漏れだした可能性があるため、六甲アイランド北部と東灘区南部一帯に住む八万人に避難勧告が出されました。火に気をつけてください。大爆発の危険があるということです」
 被害は刻々と拡大していく。気分転換どころではない。
 シオリよりも先に朝食を食べ終えたオレは、大野さんにシャワーの話をするため、車を出た。
 テントには大野さんと、見るからに大野さんの仲間と思える人、そして大家のお婆さんが毛布にくるまっていた。その隣に昨日はいなかった中年の男女もいた。
「おはようございます」
「おお。キミか。ええところに来た」
 さっそく大野さんはお婆さんの横にいる中年の男女にオレを紹介した。
「彼か娘さんを掘りだしてくれたんや」
 一体、何のことだろう。目覚めて十分ぐらいしか経っていないオレの意識は、まだ、はっきりとしていない。
「松浦サトコの父親です」
「母です。昨日はありがとうございました」
「松浦サトコって…」
 不思議そうな顔をして会釈するオレに大野さんは補足説明をしてくれた。
「ほら、昨日の朝、娘さんを掘り起こしたやろ。あの娘さんのご両親や」
 顔が血塗れでよく見なかったが、タカシの彼女は、ここに住んでいたのか? スキーに行かなかったのか? おかしい。クエスチョンマークが頭の中を占領する。
 昨日の話では、あの女性は美容師をしているということだったが…オレの知っているサトコはデパート勤務ではなかったか?
「昨日のうちにお会いして、ご挨拶したかったんですが、なにしろ私どもの自宅も火事で焼けてしまって…夜通し歩いて、ここまで来たんですけど…」
 母親と名乗る女性は、涙を潤ませ、手にしているハンカチを目頭に当てた。
「来たら、祖母の家があんな状態で、それに…それに…」
 その母親は、夫に肩を抱かれて、段ボールの敷かれた地面に腰をおろした。オレも、それを見届けて、その場に座った。
 その間、大野さんは「また来るわ」と言い残し、仲間たちとともにテントから出ていってしまった。
「オレたちが泣いても仕方ないやないか。サトコが生き返るはずもないんやから…」
 夫は妻の肩をポンポン叩きながら、ボソボソと喋りだした。
「あの、サトコさんのご遺体には会われましたか」
 オレも、何かを喋らなければ…その一心で、芸能レポーターのような心ない常套句を口にした。
「はい」
 夫はポツリと答えた。他人のオレでも眼を背けたくなるような、ひどい遺体だった。彼女には失礼だが、吐き気がするほど醜い死体だ。それを肉親が見たら、オレが想像できないぐらい、もっともっとショックだったに違いないだろう。
「明日の十時に京都の火葬場で焼くことになってるんですが、明日まで、サトコがあの姿でいるのは可哀相で…何しろ、一人娘ですから」
 この言葉に、どのように返事していいのか困った。オレも「あの姿」を知っているのだから…。
「だから…一人暮らしには反対だったのよ…」
「何、言うとんのや。今頃…。もうサトコは帰ってこんのや」
 父親は妻に言っているようだが、自分にも言い聞かせているようだった。
 お婆さんは、オレと娘夫婦の会話を眼で追うように聞くだけで、一言も口を挟むことはなかった。娘夫婦と折り合いが悪いのではないのか…とも思ったが、もし、そうだとしても、オレが首を突っ込むことではない。
「せめて、サトコの写真でもあれば…」
 母親は、ポツリとこぼした。
 この夫婦の家は火事で焼け、ほとんど何も持たずに焼けだされた。避難先と考えていたお婆さんと娘が住むアパートも全壊。サトコさんが昨日の未明まで、この世に生きていた証拠は、あの醜い死体以外は、何一つ残っていない。その死体も明日には火葬される。
 オレは、この場にいたたまれなくなり、中の三人に断ったうえで、テントを飛び出した。周囲を見回すと、大野さんや仲間の姿は、すでになかった。
 あの夫婦がサトコさんを産み、育てたという、単なる記録や思い出の物ではなく、しっかりとサトコさんが昨日の未明まで地に足を着けて生きていたという証拠をあの夫婦に残してやれないだろうか…。
 ちょうど、昨日の今頃、地震の衝撃で姉の子供はこの世に生を受ける前に死んでしまった。生きていた証拠すらない。死んだ事実はあるのに、地震の死者数にも数えてもらえないだろう。名前もなかったからラジオで発表される死者の名前にも出てこない。
 突然、背後からクラクションが鳴らされた。例によってシオリである。
「びっくりするやないか」
「で、シャワーのこと、どうだった」
 寝癖を気にしながら、ニコッと微笑んだ。
「大野さんが、なんとかしてくれるんでしょ。さっき、仲間の人たちと出掛けていったから…」
「それが、大野さんとは、あんまり喋らんかったんや」
 シオリの笑顔が消えた。
「もう、役立たずなんだから」
「役立たずって…。役立たずは役立たずなりに、役立てることはないか考えてたんや」
「何言ってるのよ」
 全く無関係なシオリに話しても仕方がないことだが、オレはテントの中で、あの夫婦と交わした話や、オレが今、考えていたことなどをシオリにも話しておいた。
「あたしたちだけで、あのアパートを掘り起こすのは無理よ。できたとしても服が汚れるし…」
 シオリを端からあてにはしていなかったが、やっぱり話に乗ってこなかった。
「そや、明るくなったから、オレの家に行かへんか」
「うん」
 この時だけオレの言葉に納得してくれた。

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