| 連載小説 | 1998年1月1日 |
| | 明日の大地へ〜第9節、第10節 |
◆目次◆
9・二十四時間ぶりの再会
10・死者の名前
(全33節)
9・二十四時間ぶりの再会
オレは自転車にまたがり西へ走った。道路は相変わらず通行量が多く、信号もついていない。あれだけオヤジに言われたヘルメットもかぶっていない。本来、オレの頭を防御してくれるはずのヘルメットは前カゴに納まり、オレとツーリングを楽しんでいるではないか。
人と車の波をかきわけて、シオリの泊まっているホテルの前にたどり着くと、本当にピサの斜塔のように建物が傾いていた。外壁のタイルもところどころ剥がれ落ち、曲がった鉄骨が覗いている。
「シオリ〜、シオリ〜」
窓に向かって、オレは必死に叫んだ。しかし建物の中に人がいる気配はない。もしかすると中で死んでいるのでは…何しろ、今日、オレは二人の死に立ち合った。一人は産まれる前の甥っ子、もう一人は大野さんと掘り起こした妙齢の女性。
「木造アパートが潰れただけでも、あんな酷い死に方をするんやから、鉄骨のビルやと…」
こんなことが頭を掠めた瞬間、誰かがオレの肩を叩いた。
「ひっ」
驚いて振り向くと寝巻にジャンパーを羽織った初老の男が立っていた。
「ここの人たちやったら、さっきレスキュー隊の人が来て、みんな助けだしたよ」
「レスキュー隊って?」
「そう。この近くのY小学校に連れていったよ」
オレはホッとした。その男から小学校の場所を聞くと、また自転車を走らせた。
学校へ続く細い道は踏み場もないぐらい家という家が倒れていた。まともに自転車を漕ぐことができない。
ようやく学校に着くと、校舎の中は、避難者なのか学校の先生なのか、よくわからない人が、廊下を右往左往していた。これでは、誰にシオリの所在を聞けばいいのかわからない。
ごったがえす廊下にも毛布にくるまって、うずくまっている人もいる。教室に入り切れなかった避難者たちなのだろうか。
その中を、さまよい歩いていると、廊下の人にパンと牛乳を配っている男を見つけた。
「あ、あの…ちょっと聞きたいことがあるんですが…」
「何?」
「レスキュー隊に救助された山手ビジネスホテルの宿泊客は、どこにいるんでしょうか」
「音楽室」
その人は、オレの質問に答えている間も、ずっと、廊下の避難者に食糧を配り続けた。
「音楽室は、どこに…」
「階段上がって、三階の右の突き当たり」
「そうですか。ありがとうございました」
そして、音楽室へ向かおうとした途端、男はオレのジャンパーを引っ張った。
「探してる人は何人?」
男は手を休めて振り向いた。初めて、その男と目があった。
「一人です」
「これ、キミと二人分」
彼は、オレにもクリームパンと牛乳を二個ずつ手渡してくれた。もらった食糧をポケットに突っ込むと、急いで音楽室をめざした。 ここでも停電が続いているのか、校舎内は薄暗い。窓からさす薄暗い西日だけが廊下を赤く照らしている。
音楽室の扉を開けると、蛸部屋のようになっていた。机や椅子に座っている人だけではない。机と机の間、黒板の前、ピアノの下…ありとあらゆるところに人がいた。
オレが部屋を見渡していると、シオリの声が耳に飛び込んできた。
「マサル〜。こっち、こっち。今まで何してたのよ!」
シオリは生きていた。が、よりによって、蛸部屋と化した音楽室の一番奥の隅の床にチョコンと座り、ニコニコと手を振っているではないか。
「すんません。ちょっと道を開けてくれませんか」
嫌そうな顔をする避難者をよそに、シオリのいる地点へ向かった。何しろオレは昨日、デートから帰って以来、着替えていない。しかも瓦礫を掘り起こしていたため、その服もドロドロだ。
シオリはオレが近づくと抱きついてくるのではないかと思うぐらい、勢いよく立ち上がった。
「ほんとに。私、死にそうだったんだから…でも、すぐにレスキュー隊の人たちが助けにきてくれたの。きっとマサルも来てくれると思ったから、ずっと待ってたのよ」
シオリは怒り顔の中にも安堵の表情がうかがえた。短時間とはいえ生まれて初めて来た街で大地震に遭い、知らない人びとに囲まれて避難生活をしているのだから、なおさらだろう。
「とにかく、泊まるところがないんやったらオレの家へ来ればええわ。かなりガタが来てるけど、倒れる心配はないで」
「ありがとう…」
感激の再会を果たすと、シオリを連れて、その学校を出た。
そして、校門の脇に止めた自転車にシオリを乗せて帰るわけだが…。
「ちょっと、コレに乗れっていうの。車はどうしたのよ。車は!」
シオリが怒るのも無理はない。オヤジの自転車なので古くさい形であり、しかも砂塵に霞む街を走ったため、埃を被っている。
「仕方ない。歩いて帰ろか」
「ここからマサルの、お家まで、どれぐらいあるの」
「そうやなぁ。二、三キロはあるかな」
「そんなに遠いの。じゃあ、あたし。後に乗る」
「そうしてくれるか」
シオリは荷台をまたぐと、手に持っていた大きなカバンをリュックサックのように背負い、オレの腰に手を回した。そして、自転車は発進した。
背中にシオリがぴったりと密着しているので、後からシオリに抱きつかれているような錯覚になる。
日は沈みかけている。街灯も信号も点かず、廃墟になった街が、消えゆく太陽の薄明りに浮かび上がり、ゴーストタウンのようになっている。それは限りない恐怖を演出していたが、その錯覚が、オレを現実の喧騒と恐怖を忘れさせてくれた。
10・死者の名前
タカシは神戸へ近づくほど、大きな渋滞に阻まれていた。すでに関西圏内、滋賀県内を走っている。タカシとサトコは会話もなく、ずっとラジオを聴き、必死に神戸市内の情報を得ようとしていた。これまでの交通情報は地方放送局のため断片的な情報は得られたが、神戸市内へ続く道の情報は入ってこなかった。
タカシの苛立ちもピークに達している。
「どうなってるんや。平日やのに異常な混み方やなぁ。サトコ。今日は神戸に帰らんと、京都のオレの実家へ泊まるか?」
タカシはハンドルを指でトントンと突きながら助手席を見た。
ずっとラジオに耳を傾けていると思っていたサトコも疲れたのか、居眠りをしている。
「気楽なもんやな。運転を代わってほしいわ」
タカシは眠るサトコを非難した。
それからというもの、タカシはサービスエリアを見つけるごとに、眠っているサトコに代わって、サトコの自宅へ何度も電話を試みた。しかし、すべて梨のつぶてである。
アイドリングの振動だけがする、ほとんど動かない車の中でタカシもウトウトしかけていたが、ある瞬間、ハッと目覚めた。
「神戸市東灘署管内で死亡が確認された方のお名前を読み上げます。…松浦ヒトシさん、松浦タカコさん、松浦ミツルさん……」
「松浦…」
タカシはサトコの体を揺すった。
「え、あっ…何?」
サトコは寝呆けたような声をあげた。
「今、ラジオでサトコとこの家族の名前が呼ばれたぞ」
「えっ!」
タカシは一瞬ためらった。
「どういうことなの」
もしかすると空耳かも知れない…と思ったからだ。人の死を空耳だけで軽々しく伝えていいのか。
「オレの聴き間違いかも知れんけど、キミとこの家族…」
「ちょっと、なんで。私の家族の名前がラジオで呼ばれるの…」
タカシはサトコの体から手を放して、その手をハンドルの上に乗せた。
「とにかく、サトコが寝ている間に、いろいろ事態が変わっているみたいやから、居眠りせんと、ラジオ聴いといたほうがええわ」
ラジオは相変わらず無機質な名前の羅列を読みあげる。
「いったい、これ、何の名前?」
サトコの質問に答えたのはラジオだった。
「続いて、神戸市灘区で死亡が確認された方の名前を読み上げます…」
「えっ」
タカシを睨みつけていたサトコは正面に向き直ると、力が抜けたように背もたれにガクンと倒れた。
「いや…もしかしたら、オレの聴き間違いかも知れんから、とにかく、キミもオレと一緒にラジオを聴いといてくれへんか…」
サトコは小さくうなづいた。
「そや、ここは関西やから、もしかしたら神戸のラジオ局が聴けるかも知れへんで」
タカシはあわててラジオのチューニングをその放送局に合わせた。周りが山に囲まれているためか、ノイズの向こうから、かすかに声が聞こえてくるものの、ハッキリと何を言っているのか聞き取れるほどではなかった。仕方がないので、今まで聴いていたラジオ局とは別のラジオ局を選局することにした。
「まさか、死んでるってことはないよね」
チューナーをいじくるタカシにサトコはポツリとつぶやいた。
「希望をもたんと…」
だが、間が悪いときは、徹底的に悪い。交通情報が終わると、ここでも死亡者名簿が読み上げられたのだ。
「…それでは、ここで兵庫県警が発表した死亡が確認された方々のお名前を読み上げます…」
サトコはボンヤリと前を見つめていたが、耳はラジオに集中している。一人一人の名前を聞き返すように首を縦に振った。
「…松浦ヒトシさん、松浦タカコさん、松浦ミツルさん…」
確かにラジオは、そう言った。それも、今までタカシが聴いていたラジオ局とは違う放送局の発表だ。
その瞬間。サトコはつんのめった。そして悲鳴にも似た奇声をあげて泣いた。閉め切った車の外へも聞こえるのではないかというぐらい、大声で泣きじゃくった。
ヒトシとタカコは、サトコの両親。ミツルはサトコの弟である。サトコは家族と同居し、サトコを含めて四人家族だった。その四人のうち三人の死亡が確認されたと言っている。
そして、さらにショッキングなことがタカシとサトコを襲った。
「……松浦サトコさん……」
この無責任なアナウンサーの声は、大声で泣き続けるサトコの耳にも入った。
「えっ」
サトコは泣くのをピタリとやめた。
「どういうこと?」
声を震わせながらサトコはタカシに尋ねた。タカシはどう返事していいのか困った。
「改めて聞くのもなんだけど、キミ、松浦サトコさんだよねぇ」
サトコは小さくうなずいた。
「もしかしたら…」と言いかけて、タカシは黙り込んだ。このあと「人違いか、同姓同名の人やで。きっと」と慰めたかったのだが、やめた。そんなことを言ったところで、これより数分前に読み上げられた松浦家の連続した名前の羅列は「同姓同名」や「人違い」だけでは否定できない状況証拠である。
「何かの間違いよね。きっとそうよ」
自分自身に言い聞かせるようにサトコはつぶやいた。その声は、まだ震えていたし、作り笑いも見え見えだった。何しろサトコはタカシの勤めるデパートの中でも一番の花形である受付案内嬢である。仕事柄、笑顔は一番得意であるはずだ。
動揺が隠し切れていないことだけがハッキリとサトコの顔から読み取れた。

※写真は『阪神大震災・神戸からの報告書』(データハウス刊・菊地 馨著)76頁に掲載した写真です。
