連載小説1997年6月13日
 明日の大地へ〜第3節、第4節

◆目次◆

3・志賀高原の朝

4・未完成の生命

(全33節)


3・志賀高原の朝

「なぁなぁ。さっき地震あったん知ってる」
 サトコは、横で寝ているタカシをゆすり起こそうとした。
 この日の朝。信州でも軽い地震があった。
「地震? なんやそれ」
 タカシは寝呆けていた。昨日の夜は燃えたらしく眼が完全に開いていない。
「おまえ、まだ、やりたらんのか。今何時やねん」
 スタンドの下にあった時計で、午前六時十五分を確認すると、タカシは再びベッドに潜りこんだ。
「タカシさんって、意外と鈍感なんやね」
「サトコが敏感すぎるねん。昨日の夜みたいに…。おまえ、知らんと思うけど『もぉ死ぬ』て、悶えとったぞ」
「もう」
 朝の六時過ぎとはいえ、外はまだ暗い。 他愛のない会話を繰り返すうちに、二人はまた、うつらうつら、眠ってしまった。
「ふぁ〜あ」
 二度寝の後、最初に目覚めたのはタカシだった。
「気楽なやっちゃな。さっきは地震がどうのゆうて、寝呆けとったくせに」
 タカシはサトコの寝顔を見ながら、スタンドに置いてあったリモコンでテレビを点けた。
「なんや。どっかで戦争でもあったんか」
 テレビは点々と火柱を上げる都会を俯瞰で捉えていた。
 四年前の今日…湾岸戦争が勃発した日である。しかし、あの時見た戦争のテレビ中継とは少し映像が違う。火が出ていない場所でも…
 屋根が土を吹き上げて、沈んでいる。
 ビルも倒れている。
 高速道路も横たわっている。
 一年前の今日…アメリカ、ロサンゼルスで直下型地震が発生。倒壊した高速道路を見て日本の学者は「日本の高速道路は、あの程度の地震では壊れませんよ」と公言した。
「平日の朝っぱらから怪獣映画やってるんか?」
 テレビを見続けるうちに、どうも見覚えのある建物や耳に馴染んでいる地名が完全に目覚めていないタカシの脳を刺激しはじめた。
「おい、もしかして」
 持っていたリモコンを忙しなく押し続けた。どのチャンネルもアングルは違うものの、ほぼ同じような光景を映していた。画面の左下には「関西で大地震」という走り書きのような字幕も見える。
「サトコ。ちょっと起きろ」
 タカシはサトコを必死に揺すった。
「何…」
「何って…テレビ見てくれ」
「ちょっとトイレ」
「トイレに行くんやったら先にテレビ見てくれ。この街、どっかで見たことないか」
 サトコは寝起きの腫れぼったい眼を、カッと見開いた。
 しばらくして、サトコはテレビを指差し、「これ、三宮と違うん」と呟いた。
「やっぱりそうか。これが駅で、これがオレらのデパートで…」
 タカシは画面を必死になぞっているが、ブラウン管の中の街は、タカシやサトコが知っている街ではなかった。なんとなく面影はあったが…。
「今朝の地震で震度6を記録した神戸市最大の繁華街、三宮の上空を飛んでいます。大地震でビルというビルがすべて壊れています」
「犠牲者の情報は入っていませんか?」
「東灘区などで倒壊家屋に生き埋めになっている人が多数いるという情報が入っています」
 テレビは「三宮」と言っている。それにサトコが家族と一緒に住んでいる「東灘区」という地名も、しっかりと耳に入った。
「電話や、電話」
 タカシに急かされ、サトコはプッシュホンを押しはじめた。
「みんな…無事でいて」
 しかし受話器の向こうからは…、
「ただいまお客さまのおかけになった電話は回線が混みあい、大変つながりにくくなっております…」
 何度も電話をかけ続けた。しかし、結果は同じだった。プッシュする回数が増すごとにに、サトコの顔から悲愴感が漂ってきた。
 それでも容赦なく無機質なコールが耳に届く。
「そんなぁ」
 サトコは受話器を置き、大きなため息をついて床に平伏した。
 タカシはそんなサトコがいたたまれなくなり、ゆっくりとサトコを抱き起こし、やさしくベッドに座らせた。
 今度はタカシが実家へ電話してみた。タカシの実家は京都である。仕事の関係で、今は神戸で独り暮らしをしている。
 京都へは、ちゃんとつながった。
「お母ちゃんか。オレや。タカシや」
 電話の向こうで母は動転しているようだ。
「タカシか。あんた、生きてたか。今朝からずっとタカシのマンションへ電話してるんやけど、なかなかつながらんでなぁ」
 母は一方的に早口で話し続けた。
「今朝の地震で、ここもよう揺れたけど、なんか神戸が大変みたいやてなぁ」
「いや。オレ、今、神戸と違うんや。スキーで志賀高原におるねん」
「え。滋賀県?。彦根も震度5やて言うてたけど…」
「滋賀県やのうて、志賀高原。長野県や」
「長野県?」
「そうや、今、テレビ見てビックリしてるんや」
 母は一瞬、沈黙した。
「あんた、どこまで呑気なんや。マンションどないなってるんや。コンクリのビルも滅茶滅茶に壊れてるみたいやで」
「だから十五日から、友達と泊まりがけで長野県に来てたんや」
「そうか。まぁ、タカシが生きてるんやったら、安心やけど、友達って神戸の子か」
「そうや。だから焦ってるんや」
「早よ帰さな。親御さん、心配しはるで。今、新幹線も動いてないみたいやし…あぁ、あんた、車やったなぁ。でも、アカンわ。高速道路が倒れてるらしいし…、もし神戸に戻れんのやったら、その友達も連れて家においで」
 相変わらず、お喋りな性格の母だった。言いたいことを言って電話は切れてしまった。
 とりあえず、母が言った神戸の状況や場合によってはタカシの実家に泊まることをサトコに伝えるが、サトコは何も答えず、呆然とした表情でシーツを握り締めながらテレビから目を離さなかった。
「こんなことしてる場合やない」
 背中をポンと叩いて、無表情な…いや、虚ろな白い顔をしたサトコをうながした。
「そういえば朝食、食べてないなあ」
 気がついたときには、すでに高速道路の上だった。
 タカシは左手でハンドルを裁きながら、右手は胸ポケットの煙草を探している。高ぶっている気を静めないことには、神戸で何があったのか、冷静に正確な判断ができない。サトコも、ときどき、わけのわからないことを言いだすことがあった。
「朝の地震は、家が壊れるほどの地震やなかったよ。ホテルだって壊れてなかったし」
「あのなぁ。地震いうのは震源地から離れると弱なるんや。学校で習ったやろ」
 タカシはカーステレオの電源を入れ、ラジオのチューニングをいじった。
「それなら震源地は神戸やったんかな」
「神戸で大地震があるなんて…悪夢やったら早く醒めてほしいなぁ」
 二人の会話に答えるように、ラジオは感情のない声で震度情報を伝えた。
「今朝五時四十六分ごろ。近畿、東海地方で強い地震がありました。各地の震度は、震度6の烈震が神戸、淡路島の洲本。震度5の強震が京都、豊岡、彦根。震度4の中震が鳥取、高松、徳島、大阪、姫路などとなっています。県下でもこの地震で飯田、諏訪で震度3の弱震。長野、松本、軽井沢で震度2の軽震を記録しています。震源地は淡路島北部。震源の深さは二十キロ。地震の規模を示すマグニチュードは7・2と推定されています…地震の被害ですが、震度6を記録した神戸市内でビルの倒壊が多数あり、ところどころで火の手が上がっているという情報が入っています。また、神戸港沖の人工島ポートアイランドでは大規模な液状化現象が発生している模様です…」

4・未完成の生命

中間崩壊した交通センタービル  タカシが悪夢に招かれ、神戸へ帰ってこようとしているとき、オレは神戸の震度も、震源地も、道中に出くわした浸水が津波ではなく史上最大規模の液状化現象によるものだったということも、何もわからなかった。
 オレと義兄は「手術中」と走り書きされた貼り紙の前で土下座し、帝王切開の痛みに喘ぐ姉の絶叫を聞きながら、得体の知れぬ運命の神に、ただただ祈るしかなかった。
 ふと見上げると、先生がオレたちの前に立ちはだかっていた。苦渋に満ちた先生の顔は、停電で薄暗い廊下でも、ハッキリと見ることができた。
 苦渋の顔は、オレたちと眼が合うと左右に二回、静かに首を振った。
 その瞬間、義兄は泣き崩れた。わぁわぁと泣き叫んだ。オレも全身の力が廊下に吸い取られるような虚脱感を覚えた。
 それから、二人は診察室で、先生を前に座らされていた。
 室内は荒れている。先生の机の上には書類がうずたかくゴミのように積まれ、床にもいろんな物が散らかっている。
「私の力が及ばなかったことを陳謝したい」
 先生は深々と頭を下げた。オレは先生を殴ってやりたい気分だったが、先生が殺したのではない。なにもかも、あの大地震が悪いのだ。しかしオレが先生を殴れなかった理由はそんな論理的なものではなかったし、考える余裕もなかった。つまり、この病院の廊下に吸い取られた気力のせいなのだ…と思った。
 だが、衝撃的な話は、これだけでは終わらない。
「奥さんは命の別状はないのですが…ただ…」
「ただ…なんでしょう」
「子宮も損傷しているので…」
 先生は、何やら回りくどく専門用語をひけらかしたが、医学や女体の構造に無知なオレたちにわかったことは姉が「子供を生めない体」になったということだった。そして、この処置のためにしばらくの入院を要するとのことだった。
 その後、オレを診察室に残し、義兄は先生に付き添われて、部屋を出ようとした。
「義兄さん」
「マサル君。ちょっと、ここで待っといてくれへんか」
 オレは、ずっと手に握り締めていた姉夫婦の靴とコートを義兄に差し出した。
「姉さんにも渡しといて」
 義兄は、何も言わずにそれを受け取り、泥で汚れた自分の足に靴を履かせながら部屋を出た。
 オレは診察室でひとりになり、大きな深呼吸をした。眼の中に、壁に掛けられた時計が飛び込んできた。午前九時を少しばかり過ぎていただろうか。ブラインドの隙間から、かすかな陽の光が部屋に差し込んだとき、オレは悪い夢から目覚めたのだ…と思った。
 しかし現実に、誰が見てもオレは病院の診察室に残されている。部屋の外からは先生や看護婦が走り回る振動と、負傷した患者のなんともいえない唸り声が不気味に、窓ガラスを震わせている。
「そういえば、オカンは無事なんやろか。オヤジはオカンの無事を確認できたんやろか」
 先生の机の上にあった書類の中から電話機を見つけたが、使いものにならない。オヤジは歩いて数分のところにいるのに、義兄との約束を破る冷酷な精神力もない。こうして、何もできずに、ぼんやりしている自分に、少しもどかしさを感じた。
 しばらくして義兄と先生が戻ってきた。
 義兄は、随分スッキリとした顔をしている。自分の子供が亡くなったというのに…それに、もう、自分たちには子供ができないというのに…。
「マサル君。帰ろか。あんまり長居したら、ほかの患者さんに悪いから」
 オレはパイプ椅子から立ち上がり、診察室を出た。
「義兄さん。どうやった」
「ああ。気を失ってたみたいなんで、あのことは言えんかった。けどな…」
 義兄は唾を飲み込んだ。
「けど…取り出された息子を見てな、涙が出たで。ホンマやったら三か月後に、五体満足で産まれてくる子やったんやと思うとな…」
 その声は震えていた。
「男の子やったんか」
「ちゃんと、ついてるもんも、ついてたし…」
 義兄はオレを笑わせようとして言ったのかどうか、わからないが、その言葉がリアルに聞こえた。オレはその死体…いや彼を見なくてよかったと思う。
 義兄の家に戻ると、オヤジにも、そのことを伝えた。何しろ初孫がこんな形になろうとは、オレ以上にショックだっただろう。しかしオヤジは何も語ろうとはしなかった。
「マサル。帰ろか」
「そやけど、義兄さん、ひとりになるんやで」
「うちの奴も心配や」
「ボクも心配です。昨日の約束どおり、ボクが車で、お家までお送りしますよ」
「いや、吉田君。キミのご両親もきっと心配してる。それに、いろいろ、せなあかんこともあるやろ」
「ボクの実家だったら、お義父さんの家へ寄ってからでも行けますし、部屋の片付けも、いつでもできますから…」
 オヤジが言った「いろいろ」とは、部屋の片付けではないことを、オレもわかっていた。
 気丈を装う義兄と落ち着いているオヤジの会話を聞いて、オレが一番、今度のことで傷ついてるのではないかとも思った。オレの目の前で人が死ぬという経験がなかったせいもあるだろう。それも、生まれる前に…。
 結局、オレたちは義兄の言葉に甘えることにした。
 義兄は運転席に座ると、エアコンとラジオをつけてくれた。エアコンから流れ出る暖かい空気は、オレたちを、さらに現実へ戻していくようだった。何しろ、ここ数時間の間「寒い」という感覚がなかったからだ。
 そこへ追い打ちをかけるようにラジオが、重苦しい現実を伝えてきた。
「今朝の地震による被害ですが、神戸市東灘区で建物が数十軒、倒壊し百人以上が生き埋めになっているという情報が入っています。兵庫県内で八人、大阪府で一人の死者が出ているという情報もただ今、入りました」
 フロントガラスの向こうからは、狼煙のような煙が市街地のあちこちから見える。
 もうすぐ昼だというのに、西の空は暗かった。よく見ると、それは雨雲ではなく地上から沸き立つように天空へ黒煙が舞い上がっていた。空には蝿のように無数のヘリコプターが、けむりに集っている。オレは空から消火している消防のヘリだと思った。
「神戸市長田区では大規模な火災が発生している模様ですが、地元の住民が携帯電話で知らせてきたところによりますと、火災現場は長田区の菅原商店街付近で、消防車数台がかけつけているものの、断水と防火水槽の損壊によりホースから水も出ていない模様で…」
 義兄は、車を路肩に寄せて、ハンドブレーキを引いた。
 右側の道を追い越す車は泥水を跳ねながら、ビュンビュンと飛ばしている。まさか、ここでガソリンが切れたというのではないだろうな。
「マサル君。悪いけど横のカバンを取ってくれへんか」
 オレの横にあった漫画雑誌ほどの小さな黒いバッグを義兄に手渡すと、その中から携帯電話を取り出した。
「いっぺん、コレでお義父さんの家へ電話してみましょう」
「義兄さん。ここから電話がかけられても、オレの家の電話がつながらんのとちゃうか」
「こらっ。縁起でもないことを言うな」
 間髪入れずに、オヤジはオレをどやした。
 オヤジはオレの意見を「家がつぶれて、誰も電話に出られないのではないか」と誤解しているようだ。オレは回線がパンクしているのではないかと言ったつもりなのに…。
「縁起とかの問題やなくて…その…」
 それは、地震直後に義兄が試みた電話とオレが病院でした電話の経験に基づく判断である。
 オレが喋っている間、義兄の手はオレの家の電話番号をプッシュしていた。
 ラジオも相変わらず、臨時ニュースを奏でている。
「ポートアイランドでは大規模な液状化現象が発生し、アスファルトの路面は茶色い土砂に埋もれています。上空から見るかぎり、島内の建物は、倒れている様子はありません」
 携帯電話は、普段でもつながりが悪い。電話番号を押した直後、数秒は待たされる。
プルルルルル… プルルルルル…
「呼び出してる。つながったみたい」
 オヤジは、この台詞を希望的に解釈した。
「うちの奴、元気か」
「いえ、電話の呼び出し音が鳴っているだけです」
「なんや。そうか」
 オヤジは落胆した。
「そやけどオヤジ。電話が無事やということは、家も無事ということやないのか」
「そやな。家がつぶれとったら、電話線切れとるもんな」
 二〜三分は呼び出しただろうか。誰も出てこない。
「もしかしたら、何かの下敷きになっとるんやないか。あの座敷、大きい洋服ダンスがあるぞ」
 オレは、あせった。
「義兄さん。電話、このままにして、そのまま家へ向かってくれへんか」
「わかった」
 義兄は助手席のオヤジに呼び出し中の携帯電話を手渡すと、再び車を走らせた。

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※写真は『阪神大震災・神戸からの報告書』(データハウス刊・菊地 馨著)64頁に掲載した写真です。

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