南の島に吹き荒れる六甲颪

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1985年10月16日、私は神戸で高校2年生をしていた。テレビでタイガース×スワローズ戦を見ながら、耳ではABCラジオで植草アナウンサーの名実況を聞いていた。そう、21年ぶりのタイガースのリーグ優勝の瞬間である。その後、翌日が中間試験であるにも関わらず、深夜までタイガース優勝特番に歓喜し、翌日は学校が終わると友人とともに下校途中の駅で阪神優勝のスポーツ紙を買いあさったものである。

それから18年後、何の因果か、甲子園へ野球を見に行くにも飛行機を乗らなければならないようなところに住み着いてしまった。2003年9月15日...この日ほど、関西を恋しく思ったことはない。当然のことながら、沖縄にはサンテレビがない。敬老の日の昼下がり、私はNHKラジオの甲子園からのタイガース戦の中継に耳を傾けていた。結果はご存じの通り劇的なサヨナラ勝ちで、優勝へのマジックナンバーを1とした。後はマジック対象チームのスワローズが負けるのを待つばかりである。しかし戦況はラジオでも知ることはできずインターネットだけが頼りとなった。あまりにも間が抜けて味気ない優勝の瞬間をこのようにして迎えなければならないのか...そこで、妻に沖縄の阪神ファンが集まりそうなところへ連れて行ってもらった。
 国際通りの一角。屋台村のような雰囲気のある広場に、大きなテレビが設置され、画面には昼間の甲子園の試合が映し出されていた。

ここに集まっていた人の中には、どこで手に入れたのか、タイガース応援グッズを持った人もいれば、はっぴを着込んだ人もいる。国際通りは普段は観光客でにぎわう場所であるが、ここだけは周辺から孤立した独特の雰囲気に包まれていたが、その場にいる人たちは食事をしたりビールを飲んだりと、阪神優勝のビッグイベントを目前に、どことなく盛り上がりに欠けていた。私たち夫婦も、その中に混ざり、i-modeでスワローズの試合の経過をチェックしながら食事をとることにした。会場の設置された大画面テレビはいつの間にか、NHK-BSのニュースに切り替わった。その中でスワローズ戦の結果が速報されると、いままで歓談していた人たちはざわめきたった。この雰囲気の中、詰めかけた人たちに泡盛や風船が配られる。風船はジェット風船が足りなくなったのか、私たちのところには普通の風船が配られた。ここでのんきに食事をする人はいない。みんな総立ちである。私も椅子の上に立ち上がって、テレビを見つめた。

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テレビではスワローズの敗戦の瞬間と、甲子園で待機していたタイガースの選手がグラウンドに出てくる場面が映し出された。その瞬間がきたのだ。詰めかけた人たちは手にしていた風船を飛ばし万歳三唱、我らが国歌"六甲颪"(?道上洋三)の斉唱が始まった。見ず知らずのタイガースファンと握手を交わし、抱き合ったり...会場は興奮のるつぼと化した。甲子園球場で選手たちの場内パレードが映し出されていた大画面テレビの後ろにはダイエー那覇店の建物が見えていた。
「日本シリーズの相手はダイエーに決まりそうなので、あの看板に向かって『ダイエーなんか屁のカッパ』コールを!!」

もう、何でもありである。

時間はどれぐらい経っただろうか。興奮も少し冷め、この場を離れようとしたところ、国際通りを六甲颪を歌いながら行進してくる一団に出くわしてしまった。「帰るに帰られんなぁ...」と思いつつも、いつの間にか、六甲颪や各選手の応援歌を合唱するこの"パレード"に混ざっている自分がいた。後で、この"パレード"を先導していた男性に話を伺ったところ「みんな知らない人ばかり。いつの間にか、みんなで国際通りを行進していた」とのこと。沖縄三越前にさしかかったところで"パレード"は立ち止まった。すでに時間は21時を過ぎている。当然、三越はシャッターを下ろしていた。「三越は去年、巨人の優勝セールをしていました。宿敵巨人を応援していた三越に向かって、六甲颪を!!」

六甲颪斉唱の傍らで「阪神は優勝したんですか?」「試合結果は?」と訪ねてくる観光客が後を絶たなかった。中には「18年前、西武球場で日本シリーズを見ましたよ」という人も。そんな中で18年前の優勝に大きく貢献した真弓、掛布、岡田、バースコールまで巻き起こる始末である(実はこれは私の提案だったりする)。日本一南の優勝祝賀会は関西にも負けないぐらい盛り上がったのである。